上越では知られていない「直江津遭難」 81年前に長野の小学生5人死亡 ゆかりの市民が慰霊碑訪問

今から81年前の1942年(昭和17年)9月13日、新潟県中頸城郡直江津町(現上越市)に修学旅行で訪れていた長野県の小学生5人が、直江津海岸の突堤で大波にさらわれて命を落とした。命日の2023年9月13日、宿泊先だった旧つたや旅館(同市中央3、2005年廃業)の親族が、亡くなった児童らの母校、長野県上伊那郡箕輪町立箕輪中部小学校(原浩範校長、589人)にある慰霊碑を初めて訪れ献花した。

慰霊碑に献花する旧つたや旅館の親族の柳澤喜美代さんと川島喜美江さん

「直江津遭難」とは

直江津遭難について、上越ではほとんど知られていない。同校や箕輪町郷土博物館がまとめた事故の記録によると、1942年9月、長野県上伊那郡中箕輪村(現箕輪町)の中箕輪国民学校初等科(現箕輪中部小)6年生263人は2班に分かれて修学旅行で直江津を訪れた。後発組の155人は13、14日の1泊2日の日程で、13日は謙信公祭でにぎわう春日山に登った後、林泉寺や五智国分寺を参詣し、五智国分寺裏門にあった五智水族館を見学して、午後4時過ぎにつたや旅館に到着した。

つたや旅館のはっきりとした創業年は不明だが、当時の新聞広告などを見ると明治期には創業していたとされており、明治、大正、昭和に直江津を訪れる海水浴客でにぎわう人気の大型旅館だった。

昭和初期のつたや旅館(北越出版・佐藤和夫さん提供)

児童らの宿泊先だった「つたや旅館」があった場所

つたや旅館では「今日は波が高いから次の日に行けばよい」などの地元の人の声もあったが、児童や教員は旅館の眼の前の海岸に行き、やがて海を見渡せる場所として知られていた突堤に行ってしまう。児童らがコンクリートの割れ目にいたカニに夢中になっている時に北西方向から突然大波が襲い、先頭の方にいた26人が海に転落した。このうち21人は教員や釣り人が海に飛び込むなどして救助されたが、5人の男子児童が犠牲となった。

1946年(昭和21年)の関川河口付近。事故現場の突堤が写っているが、河川改修によって現在はない(高田河川国道事務所発行「写真で見る関川・保倉川 治水のむかし◇いま」より)

事故現場の直江津港の突堤(搏美六人力会「直江津遭難の記」より)

事故発生後9月15日付の「上越新聞」は、「海知らぬ子供 哀れ五名浪に呑まる 直江津港突堤上の椿事」の見出しで第一報を伝え、その後も捜索の様子や直江津町を挙げて執り行われた聴信寺(中央3)での慰霊祭の模様を連日詳細に掲載している。

81年後も続く慰霊行事

事故後、中箕輪国民学校では月命日に黙とうや墓参、法要が行われ、80年以上たった今も慰霊行事が続いている。1954年(昭和29年)の13回忌には、箕輪中部小学校となった同校敷地内に同級生によって慰霊碑が建立された。

現在では命日の9月13日を「直江津遭難慰霊の日」とし、毎年、朝登校してきた児童らが慰霊碑に拝礼している。数年前までは亡くなった5人の同級生も毎年訪れていたが、90歳を超え、途絶えてしまったという。

箕輪中部小にある直江津遭難の慰霊碑

81回目の命日の2023年9月13日朝、慰霊碑に拝礼する児童(箕輪中部小提供)

旅館解体を機に慰霊碑訪問

この日、上越市から慰霊碑を訪ねたのは、修学旅行の宿泊先だった旧つたや旅館の建物を、今年春の解体まで長年管理してきた親類の柳澤喜美代さん(76)と妹の川島喜美江さん(73)。女学校の頃に直江津遭難が発生し、最後の女将だった伊藤己登勢子(みとせこ)さん(故人)の父方のいとこにあたる。解体した旅館の建物は事故当時のものではないが、亡くなった児童らに解体を報告し慰霊したいと同校を訪れた。

2人は慰霊行事を中心となって実施した児童会役員7人とも面談。児童らは「直江津遭難について自分で調べたからこそ、命の大切さが分かった」「後輩につなげていきたい」などと語った。

直江津遭難や慰霊行事について説明する児童

柳澤さんは「事故があったということを後に知り、ぜひお参りしたかった。児童たちの後世に伝えていくという話を聞き、感心した。亡くなったいとこの墓前に報告したい」、川島さんは「児童たちは(直江津遭難について)一生懸命調べていて、命の尊さについて語り継いでいってほしい」と話した。

児童会長で6年生の唐澤恩君(12)は「こんなこと(遭難)が二度と起こらないようにと願ってお参りをした。箕輪中部小以外の方からもお参りに来てもらい、先輩たちはよかったと思っていると思う」と話した。

昨年80年ぶりに修学旅行で直江津へ

同校は創立150周年を迎えた昨年7月、事故から80年ぶりに当時の6年生100人が修学旅行で直江津を訪れた。事故現場の突堤は関川の河川改修工事によって今はないが、関川河口の左岸で献花し、海に向かって亡くなった先輩たちの冥福を祈ったという。

関川河口左岸で献花する2022年度の箕輪中部小6年生(2022年7月13日撮影、同校提供)

日本海に向かって祈る2022年度箕輪中部小6年生(2022年7月13日撮影、同校提供)

同校では直江津遭難が起きる29年前の1913年(大正2年)には、中央アルプスの木曽駒ヶ岳を登山中だった教員、生徒ら37人が悪天候で遭難し11人が死亡した山岳事故も起きている(のちに新田次郎が事故をモデルに小説「聖職の碑」を発表し映画化)。2度の悲惨な集団遭難事故の教訓を受け継いでいこうと毎年、児童会主催で「命の大切さを考える集会」を開いているという。

原校長は「遠くからお参りに来ていただき、ありがたい。学校行事での事故であったということを教員も肝に銘じ、語り継いでいきたい」と話していた。

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