新潟県上越市本町6の映画館「高田世界館」で2017年2月17日、大ヒットホラー映画「リング」などで知られる中田秀夫監督(55)が、古巣の日活で初めて挑んだ新作ロマンポルノ「ホワイトリリー」の舞台あいさつに来館した。ホラーで知られる中田監督だが、日活時代は助監督として数々のロマンポルノを手がけた。だが、監督デビューする前にロマンポルノの製作が終了。積年の思いが叶い、満を持して製作した初のロマンポルノへの思いは深かった。
この5本では終わらせない
ご来館ありがとうございます。僕が学生の頃の30年以上前、(高田は)遠いイメージがあったが、はくたかに乗ってわずか2時間。高田世界館が1週間、昔の「高田日活」として復活されたことをお祝いしたい。「ホワイトリリー」は第1弾のロマンポルノリブート作のアンカー(2月11日公開)となったが、実は、第2期を見据えて次のランナーにたすきを渡したいと思っている。勝手に夢想しているだけだが、この5本だけでは終わらせないぞと。(ロマンポルノの)先輩たちは約1100本作っているんで。
僕は32年前(1985年)、日活ロマンポルノにあこがれて、にっかつ撮影所に入って、助監督をやった。残念ながら3年ちょっとでロマンポルノは終わったが、(助監督で)7本についた。小沼勝さんという、49本撮ったうち47本ロマンポルノという監督が師匠だ。
日活という名前でやっていた映画館に来られて非常にうれしい。私の地元は岡山県で、岡山日活という映画館がまだある。フィジカルに自信がないので、ラブシーンはやっていないが、ちょっとだけ出ているロマンポルノがあったりして感慨深い。高田世界館は106年の歴史を誇るが、日活も1912年創立で105年目に入った。
戦中、戦後に少しブランクがあったが、日活は1954年に映画製作を再開している。山中貞雄監督が「河内山宗俊」という時代劇映画を撮ったのも日活だし、リブートも日活という名前で貫いている。今はシネコンが大半だけに、東宝、東映、日活、大映、松竹という5社の名前が付いている映画館は、感慨深い。
ヌードを美しく撮るのはロマンポルノの生命線
だが、懐かしさだけでロマンポルノは続けられない。園子温監督ははっきり、懐かしさ、郷愁を持ったロマンポルノなんてくそくらえという意味で「アンチポルノ」と名付けられたと思う。我々もそのことを認識している。
僕の映画は、懐かしいとか、昭和っぽいとか、批判的に捉えられることもあるが、僕はラブシーンの表現を、あえて懐かしくやった。女優、男優のヌードを美しく撮るというのはロマンポルノの生命線でもあるので、注意してやっていたつもり。
日活は僕のホームグラウンド
実は「ビー・バップ・ハイスクール」(1965年)などで、東映に助監督として出稼ぎに行くこともあった。でも、ロマンポルノをやりに日活に帰ってくるたびに「自分のホームグラウンドはここだな」と思った。日活のスタッフ、キャストの親密さというのは、ほかの撮影所に負けていなかった。小ぶりなだけに、みんなの関係が近く、多くを学ばせてもらった。
リスペクトというか、恩返しというと古臭いけど、自分を育ててくれた所に対して、自分がなにかできることがあればという感じがある。監督をしたこと以外に、こうやってプロモーションなど、できることがあればと思っている。
「大人の文化」があってもいい
(ロマンポルノは)AVとかインターネットのハードコア表現とは違う…。この会場にいる客の3分の1が女性で、すごく感激している。昔はちょっとあり得なかったが、東京でもこういう現象があった。
昔はテレビ番組の「11PM」や「トゥナイト」などで、裸の表現はいくらもあったが、クレームなどで消えていった。町が美しくきれいになり、高いビルが建つようになって、暗がりにある「大人の文化」も消えていった。僕が小学生、中学生の頃は岡山日活の前を顔を伏せて通っていた。子供たちの通過儀礼として、「大人の文化」のようなものがあってもいいんじゃないかと。
ロマンポルノは世界映画の中では非常に珍しい存在。ポルノと付いているけれど、欧米基準でいうとポルノでもなんでもない。擬似ですからね。本当のポルノグラフィというのは行為そのものを撮って見せるわけで。
見ていただくことが次につながる
かつての先輩たちが1100本を作ってくれたので、ロマンポルノリブートも第2期、第3期といわず第10期ぐらいまでやって、50本、めざせ100本という勢いで続いていってほしい。若い監督や、女性監督も邦画界に多いので、たすきリレーできたらといいなと思っている。第1弾の5本でもチーム感があった。一番若い白石和彌監督が、「全体で1本」的なことを言ってくれたのがうれしかった。
すごく雰囲気のいい映画館で自分の映画をかけてもらい、女性を含む皆さんに見てもらって光栄だ。僕は東京のこういう映画館でいっぱい映画を見た。ロマンポルノを上映した映画館は、東京でもこういう雰囲気の映画館が多かった。それが学生のときにどんどんなくなっていった。
日本の映画は曲がり角に来ている。日活は決して大きいといえない会社だが、大事な先輩方の作品をたくさん持っている。それに負けないよう、我々も作ったつもり。第2弾、第3弾も夢じゃないところまできている。皆さんに見ていただくことが次につながるので、引き続き応援してほしい。