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上越地方の未年は災害多発?「三大地震」のうち2つ発生

7年前

新潟県上越地方の未年は、地震と飢饉の災害が目立つ。地震では、いわゆる上越地方を襲った「三大地震」のうち二つが発生している。焼山の噴火や、天候不順のための飢饉も多い巡り合わせとなっている。

上越市寺町3、海鱗寺の地震犠牲者供養塔
供養塔の上部s

宝暦の地震供養碑s

「三大地震」は寛文5年(1665年)の高田地震、宝暦元年(1751年)の宝暦地震、弘化4年(1847年)の善光寺地震のこと。ほぼ100年ごとに発生しているが、善光寺地震の後、現在まで160年余り大地震がない。新潟県内での大地震としては、新潟地震(1964年)、中越地震(2004年)、中越沖地震(2007年)が知られるが、上越地方の被害は少なかった。次第に上越地方に震源が近づいているのが不気味だ。

宝暦大地震は宝暦元年(1751年)4月25日、丑の刻(午前2時頃)に起き、27日にも大きな余震があった。高田の城下町は壊滅的な被害を受けた。所々に水が湧き、泥砂が吹き出し、城郭・大手門蹴出門をはじめ、侍屋敷、長屋などに大きな被害を与えた。死者は300人以上に及んだ。名立崩れという大規模な災害も発生し、領内では9000戸以上が被害を受けた。寺町3の海鱗寺にこの地震の犠牲者供養碑がある。

弘化4年(1847年)3月24日の亥の刻(午後10時頃)、長野地方の善光寺平を震源とする善光寺地震が発生した。ちょうど7年に一度の御開帳のさなかであり、あまりにもタイミングが悪い時に起きた。旅籠が満員で宿泊客の大半が亡くなった。29日の余震の被害も大きかった。善光寺町だけで約2500人が犠牲になり、松代藩、飯山藩、松本藩、須坂藩、上田藩などを合わせると死者は8500人を超えたとされるが、参詣客の数が正確に把握できなかったため、これでも少ない数字だ。高田藩の被害も大きく、高田市史によると、家屋499戸がつぶれ、死者が34人あったとしている。高田城三重櫓も倒壊した。……そして今年、4月5日から5月31日まで、7年に一度の御開帳にあたる。

気候不順のための飢饉も多い。未年は、記録的な大飢饉の天明(1783-87)と天保(1833-36)にあたる。天明の飢饉の際、寺町の長恩寺(現在は天崇寺)の旭導和尚は飢人を助け、千余人の死者を弔う地蔵を建てた。乞食地蔵とも呼ばれ今も残っている。1631年(寛永8年)年も飢饉で多数の餓死者を出した。

 『往古早川谷之絵図』。噴火している茶臼山は現在の焼山
最古の焼山の噴火S

『往古早川谷之絵図』に記されている焼山の大規模噴火も、未年に起きている。887年(仁和3年)7月30日のことである。「大地震があって茶臼山(焼山)が焼け崩れ、石や砂が流出し、8月5日まで続いた」と記されている。最近は御嶽山(長野県・岐阜県)、阿蘇山(熊本県)で噴火が起き、十勝岳(北海道)、吾妻山(福島県)で警戒レベルを引き上げるなど、火山活動が活発化しているだけに、不気味である。