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上越市の漫画原作者 宮崎克さんにインタビュー

7年前

2011年、最も評価が高い漫画に選ばれた「ブラック・ジャック創作秘話」(秋田書店)の原作者、上越市在住の宮崎克(まさる)さん(55)に、漫画の原作を書くようになったきっかけや創作の秘密などについて、お聞きしました(2011年12月26日の関連記事参照)。

宮崎さんの自宅で約2時間にわたりインタビューした模様をまとめたものです。2階の書斎には漫画やミステリーなどの本のほか、趣味のカメラ、天体望遠鏡などが並んでいました。野球のほかアウトドアスポーツが大好きだそうです。

宮崎さんの書斎(クリックで拡大)
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─漫画原作者の道に入ったきっかけからお聞きします。

<宮崎> ミステリーや歴史小説が大好きだったので、はじめは小説家を目指していたんです。大学を卒業後、カメラ会社の販売の仕事していまして、25歳で作家デビューしました。

いまならライトノベルでデビューしたと思いますが、私が子供のころに劇画が出てきて人気を呼んだため、少年小説は衰退していました。それで漫画の原作を書いて、儲かったら小説を書けばいいと思いました。しかし、漫画は売れたんです。漫画世代が成長して、大学生も漫画を読むようになりました。小説を書いたこともありましたが、収入にならないんです。漫画の場合は、小説よりも発行部数が多いので一桁多いんですよ。

─漫画の原作一筋という人は少ないですね。

<宮崎> そうですね。29歳でフルタイムライターになってから、26年目です。

─いろいろなジャンルの原作を書いていますが。

<宮崎> 僕の場合は、純粋なエンターテインメント派で、ヒロイズムが好きなんです。

僕が子供のころ、子供が読むに耐える小説は日本にはありませんでした。それでイギリスの冒険小説の「宝島」(スチーブンソン著)や、「失われた世界」(コナン・ドイル著)などに夢中になりました。

エンターテインメントって歴史が経つと芸術になるんです。そうすると大衆性というエネルギーが失われ、新しいものが出てくる。日本の歌舞伎だって、当時は親が顔をしかめるほどの大衆性があったのに、その後に芸術になったんです。

20世紀の小説で唯一ヒロイズムが残っていたのが、ミステリーと歴史小説でした。でも結局、僕が長くやれたのは同じヒロイズムがある漫画でした。

「宝島」の正当な後継者は「ワンピース」だと思っています。それまで小説が受け持っていたのを漫画が引き継いだんです。小説が芸術家ぶってしまったのが、漫画が受け入れられた要因なんです。

漫画では少女漫画の方が先に「芸術」になりました。今の日本は経済的に豊かで、そんな親に育てられた子供は、感性や知性が高いのです。漫画が「芸術」でも売れるんです。

─「ブラック・ジャック創作秘話」が評価された裏には、そんな日本の下地があったんですね。

<宮崎> 得意じゃない読み切りの企画だし、ノンフィクションはもともと売れないんです。出版社も損得を考えなかったのかもしれませんが、予想に反して売れて評価が高かった。1作、2作、3作と、読者アンケートで人気1位を獲得したんです。読売新聞の夕刊の書評(2011年8月29日付)で取り上げてもらったのも大きかった。

─なぜ、東京で書かないで上越市に戻ってきたんですか。

<宮崎> 上の子が小学校に上がるのを契機に10年前、実家があるこちらに家を建てました。「人形草子あやつり左近」が売れたので、鎌倉に家を建てようと計画しましたが、土地まで買えなかったんです(笑)。

もともと活字作家は郊外に家を建てる人が多いし、今はEメールやファクスがあるので、郊外でも困らない。もともとアウトドア派なので、海や山へ車で30分の上越は最高です。いまは打ち合わせなどのため、隔週で東京に通っています。東京にいるのは10日ぐらいかな。もうすぐ新幹線が上越まで来て便利になるので、楽しみにしています。

─漫画の企画は作者が売り込むんですか。

<宮崎> 基本的に企画が上から下りてくるのと、こちらから持っていくの両方があります。僕も両方あります。「ブラック・ジャック─」は特集の一つとして企画されたものです。

約30人にインタビューをしましたが、皆さん2~3時間もしゃべってくれるんです。僕は手塚さんに対する特別な思い入れはなかったんですが、関係者の思いはすごいんです。テープレコーダーの電池が切れるほどでした。話を聞くうちに、僕も使命感が出てきました。漫画は日本の文化の一つであり、国技であり、主要な輸出産業の一つなんですから。

ほかの国の人が漫画を真似しづらいのは、日本の編集者の能力がすごく高いからです。エース級の編集者を育てるには時間がかかる。それを作ったのが手塚治虫先生です。「何で日本だけ突出して漫画が発達したのか」と疑問に思う人がいますが、それは「手塚治虫が日本にしかいなかったから」と答えざるを得ません。

僕が30年もやってこれたのは、いい編集者に恵まれたことです。編集者に育てられたんです。だから、世話になった編集者からの依頼は断れません。

それから今回は、漫画家さんに恵まれました。手塚治虫先生の持つエネルギーや熱意が、絵から伝わってきて、素晴らしい仕事でした。

─漫画原作者って、どういうふうにして仕事をしているんですか。

<宮崎> 梶原一騎さん(「巨人の星」「あしたのジョー」などの原作者)は、小説形式です。小池一夫さん(「子連れ狼」などの原作者)は映画のようなシナリオ形式で書いています。原作は、漫画家と編集者の2人だけに見せれば良いので、特に形はなく、伝われば何でもいいんです。

英米文学にはシェークスピアの引用が多いため、どんなに面白いものかと思って読み始める人が多いけれど、全然面白くないと。それは、シナリオ形式で書かれているので、小説のような描写や形容がないんです。例えばシナリオに「緑の茶碗」と書いてあれば、それが意味を持つことになってしまう。茶碗が緑だったために、色覚異常の犯人が茶碗に飛び散っていた血を拭くのを忘れたとか……。

梶原一騎さんの原作は小説風なので形容詞が多く、読んでも面白い。僕の場合は、シナリオ形式だけど、山場では小説のように描写しています。面白さが漫画家に伝わらなければ、いい作品はできませんから。

─シナリオはどうやって作るんですか。

<宮崎> 僕は字が下手なのが一番のコンプレックスでね。原作を応募していたころは、字のうまい人に書いてもらっていました。読みづらい原作では、面白さが(漫画家に)伝わりません。それで、ワープロが出てきたとき、飛びつきました。文体が変わってしまうので、ワープロを敬遠した作家が多かったのですが、僕の場合はたいした問題ではなかった。ワープロは文房具史上、最高の発明だと思います。

パソコンはフリーズする欠点があり、ずっとワープロで書いています。(入力スピードが早い)富士通の親指シフトキーボードの機種を使っていますが、メールで送るのに変換に手間がかかるので、今後はどうしようかと困っています。

親指シフトが使える富士通のHDD搭載ワープロOASYS30-AP101(1994年発売)を愛用
oasys

─仕事はいつするんですか。

<宮崎> 編集者も漫画家も夜型なので、必然的に夜の仕事になります。仕事をする時間は1日8時間、週6日です。長く続けるには決まった時間に仕事をすることが大事です。

ラストを設定しておいて、逆算してストーリーを書いていくので、書き出すまでは時間はかかりますが、書き出すと早いんです。

─アイデアはどこから得るのですか。

<宮崎> アイデアというのは無人島の一人住まいでは生まれません。映画を観たり、小説を読んだり……。これらをいったん記憶の下に沈めます。そして自分が書こうとしているテーマのフィルターを通してみて、そこで面白いと思うものを、デフォルメして使います。

でも、意識の下からポンと出てきたアイデアは、オリジナルだと思っても危険です。ミステリー系のトリックは有限なので、ポンと出てきたものは逆に良く調べます。安全なのは、もともとあるものを加工して使うことですかね。

多くの部分は長年培った技術で書けるんですが、編集者はだませても、読者はだめですね。毎週毎週、命をかけて書けないけれど、売れるものには魂が入っているんです。どこかで魂を入れてやらないと。職人芸じゃ、エネルギーが読者に伝わらないんです。

─宮崎克というのは本名ですね。そのほか、鐘田正太郎、宮崎二郎、写楽麿など、ペンネームをたくさん使い分けていますが、なぜでしょうか。

ライバル誌では書くな、と脅す編集者もいましてね。ライバルの出版社で書く場合、原作者がばれないようにペンネームを変えていました。活字では分からないと思っていたら、一部の編集者には バレてました。文体で分かると。ネット社会になってから、ちょっと話したことを書かれ、バレてしまうことも多くなりました。(おわり)