「上越まつり」は直江津のお饌米奉納でフィナーレか?

直江津祗園祭を締めくくるお饌米奉納が2015年7月29日夜、新潟県上越市西本町4の八坂神社で行われた。このお饌米奉納を「上越まつりフィナーレ」と報じている地元メディアもあったが、はたして上越まつりは29日で終わってしまったのだろうか。

直江津祗園祭を締めくくるお饌米奉納(2015年7月29日) 20150730お饌米奉納S

地元メディアの報道を見ると、新潟日報は31日の上越版で「上越まつりのフィナーレを飾る『お饌米奉納』」と書いており、「上越まつりフィナーレ」の見出しも踊る。つまり、上越まつりは終わったことになる。ケーブルテレビの上越ケーブルビジョンも、「上越まつりをしめくくるお饌米奉納」としている。

「新潟日報」7月31日付 日報S

「JCV」のモバイルサイト(2015年7月30日放送) JCV_s

一方、上越タイムスは30日付1面で、見出しに「直江津祇園祭フィナーレ」とある。上越まつりとの関係は書いていない。上越よみうりは31日付1面で「上越まつりの直江津祗園祭を締めくくる『お饌米奉納』」と書く。

「上越タイムス」2015年7月30日付 タイムスS

「上越よみうり」2015年7月31日付 上越よみうり

上越まつりの起源を調べてみた。第1回上越まつりは昭和51年(1976年)7月23日から29日まで1週間にわたって開かれた。当時の新聞によると、上越まつりは「旧高田、旧直江津両市が合併して5年たったのを機に、別々に行われていた高田祇園まつり、謙信公祭、直江津港まつり(現在の直江津祗園祭)を一本化した新しい試み」(新潟日報)だった。つまり、「高田祇園祭」+「直江津祗園祭」+「謙信公祭」が上越まつりなのである。 上越まつり委員会の事務局である上越観光コンベンション協会に聞いても「上越まつりには謙信公祭も含まれる」という回答である。もちろん、上越まつりのパンフレットには、謙信公祭もちゃんと入っている。 正確にいえば、お饌米奉納は「祇園祭のフィナーレ」なのは間違いないが、「上越まつりのフィナーレ」というのは誤りである。 だが、「お饌米奉納で上越まつりは終わり」と思っている市民がいるのも事実。当初は1週間のうちに3つの祭りを集中して行ったものの、謙信公祭が8月の実施に移行し、別行事のようになった。祇園祭の方も、直江津祗園祭のポスターが別に製作されるなど、一本化とは逆の流れになっている。平成の大合併により、13区でもそれぞれ祭りが行われており、「上越まつり」という名称すら実態に合っていない。 40年の歳月をかけても一本化ができなかった「上越まつり」を、そろそろ見直す時期が来ているのではないだろうか。