新潟県上越地域や県外にパチンコホールなどを展開している上越市の「三井企画」が2017年2月28日、同社起業の地であるミスターパチンコ藤巻店(上越市藤巻)と、2001年に出店した大型店のシルクロード上越店(五智1)を同時閉店した。パチンコファンの間では、「三井企画はパチンコ店経営をやめてしまうのではないか」などと心配する声が上がっている。パチンコ業界の現状も含め、三井慶昭社長(73)に話を聞いた。
出発点は「パチンコ18号線」
——ミスパチ藤巻店は本社所在地(現在は春日山町1に移転)でもあり、「パチンコ18号線」として、上越で初めてロードサイドに出店した店ですね。
三井 昭和48年(1973年)4月にオープンしたんですが、上越どころか、広い駐車場を備えた日本海側初の郊外型パチンコ店でした。僕の父は山梨県甲府で郊外パチンコを始めた元祖なんです。その後、県としては2番目に僕が新潟県で始めた店が「18号線」なんです。当時のパチンコは駅前、繁華街での立地が主流でしたから、なかなかなじんでもらえなくてね。
——「パチンコ18号線」と「パチンコ上越会館」の2店が並んでいました。
三井 18号線が先で、上越会館は翌年です。そのころ1店につきパチンコ台は200台という規制がありました。200台じゃ足りないので、規制をくぐるために2店を並べ計400台にしたんです。
|
パチンコは大衆娯楽から離脱した
——藤巻店は本店ですから、それを閉めるというのは余程のことがあったのではないかと、古くからのパチンコファンは心配しています。
三井 パチンコは来るところまで来てしまったんですよ。パチンコは安近短の手軽な娯楽であり、「娯楽の殿堂」であったんですけど、大衆娯楽から離脱してギャンブル化してしまった。パチンコの本来の姿じゃないとの思いがあり、少し手を引くわけです。借金を軽減する意味もあるし、今が潮時なのではないかと。
藤巻店は15年間赤字で、閉めざるをえなかったのです。今は、その赤字を、他の店の売上で補填していくという時代じゃないので。本店を手放すのは複雑な気持ちですけどね。
東南アジアでの展開が夢
——パチンコから撤退するわけではないんですね。
三井 パチンコはやめません。今は、東南アジアへの展開ですね。昨年7月13日にベトナム南部のカントー市でパチンコ店を開店し、現在はホーチミン市の繁華街に2店目を準備中です。
——ニューホームラン(上越市南本町1)、三和店(上越市三和区)、糸魚川店(糸魚川市)の上越地域3店と、長野・山梨・千葉の計3店は、当面は残すということですね。スクラップ&ビルドで、採算が合わない店を閉め、海外などに重点を移すわけですか。
三井 そうです。ベトナムは競争相手がいない無風状態なので、可能性がある。ベトナムでしっかり礎を築いて、日本文化を東南アジアにどんどん広げていくのが僕の夢ですから。カンボジア、ミャンマー、タイあたりでできれば。でも、ベトナムでは“遊べる台”はだめなんです。日本にはない、勝つか負けるかという機械を作るのに苦心しています。
ギャンブル性の強い機械が客離れに
——三井企画がピークだったのは、シルクロード上越店を出された2001年前後ですかね。上越地域の売上ランキングで山下商会と1位を争っていました。人口13万5000人の合併前上越市で1万台以上のパチンコ台があり、市民13人に1台という大激戦時代に突入したんですね。
三井 そうです。1万台もありました。その後、お上の規制がかかって、あれもこれもいけないということになりました。それをカバーをするためにギャンブル性の強い機械が出てきて、それにお客が付いてこれなくなった。それが客減りを招いた感じがします。
——業界は「衰退産業」と言われています。
三井 衰退産業ですね。日本の経済が停滞する中、パチンコに行くのに2、3万円持っていかなくてはならないという社会の流れに反したパチンコの流れがあった。お客に高負担を強いたのが、客をなくしていったんです。
二十数年前、全国で3000万人のファンがいたんですよ。それが今では800万人。機械は昔の3~4倍もする。1台48万円のパチンコ台を買って、「0.2円パチンコ」じゃ話にならんですわ。ここである程度けじめをつけて、パチンコがどこまで行くのか静観したい。
跡地には業界3位のパチンコ店「ガイア」が進出
——藤巻店跡と周辺も含めた土地に、業界3位のパチンコ店「ガイア」が、本県を含む北陸で初めて進出すると聞きました。なぜ、同じ業界に売却したんですか?
三井 どの業界でもかまわなかったんですよ。スーパーからの話もあったけれど、最終的にこうなったんです。おそらく来春のオープンになるんじゃないですか。
——社長さんは現在、73歳ですが、後継者の道筋は?
三井 娘が1人いますし、娘婿にやらせてもいい。欲を言うと身内にやってもらいたいと思います。
——一時はパチンコ店を、玉三郎を経営している弟の慶満さんに移譲するのではないかといううわさも出ていましたが?
三井 「500万円を毎月くれれば譲るよ」と話をしたけれど、「自信がない」と拒否されましてね。それぞれの夢を追いかけることになったんです。
——三井企画として、幼年野球を主催したり、ビーチバレーを応援したりしていましたが、今後はどうなりますか?
三井 今年の幼年野球はやりますが、少しずつ減らしていかなくては。これからは半分ぐらいにして、あとの半分は皆さんから調達してもらうことになるでしょう。