【特集】中川幹太市長就任1年 「変革」と「安定」の間で苦心

上越市の中川幹太市長就任から11月9日で1年になる。従来の方針を大きく転換する変革を掲げて当選したものの、安定と秩序を志向する現実を前に、公約推進は当選の勢いのままには進んでいない。中川市長はこの1年を「準備期間」と位置付けた上で、70〜80点と高得点の自己評価をした。一方、市民の中には変革が大きく進まないことに批判的な声もあり、就任1年を待たずまちには「市政立て直し」ののぼり旗がはためく。中川市政1年目を振り返り、今後を展望する。

就任1年の所感を語る中川市長(2022年10月)

厳しい船出 変化と安定

就任から1か月後の昨年12月、目玉公約の副市長4人制を実現するため市議会に提案した条例改正案が否決された。中川市長にとって厳しい船出となり、「議員、職員、市民を含め、対話が足りなかった」と反省した。有権者の支持を背景に変革を前面に訴えてきた姿勢から一転、これ以後従来にはなかった慎重な物言いが目立つようになった。
しかし、4月には「直江津には商店街がない」と発言して謝罪した。こうした「失言」は、従来の価値観の変革を求める中川市長ならではの強い思いから出たものだ。就任1年を前にした10月の記者会見では「『改革と変化』『安定と秩序』のバランスに意を用いてきた」と振り返った。変化を求める自身の意思と多様なニーズの中で安定を求める世論とのバランスに苦慮してきた1年だった。

中川市長の後援会長を務める秋山三枝子県議も「毎朝新聞を開けるのがドキドキ。やったなと思う時もあれば、指導いただく場面もあった。物事を変える時は小さなことでも反発はあり、歩み寄りや努力、時間も必要」と中川市長の1年を振り返った。中川市長の政策推進の重要な核となる副市長4人制。「時間をかけて議論したい」として慎重に検討を進めてきた。否決からちょうど1年後となる来月の市議会12月定例会に再度提案する方針を示しているが、いまだ大方の議員に理解が得られているという状況にはなく、情勢は不透明だ。

9つの「公約プロジェクト」

新年度予算で示された中川市長の「公約プロジェクト」は「人事改革」「地域自治推進」「通年観光」「地域交通」「子育て」「健康」「防災」「農林水産」「脱炭素社会」の計9つある。10月から始まった市議会への説明では、議員からは具体像が見えないという声が相次いだ。地域自治推進プロジェクトでは自治区再編や地域協議会などの役割の見直しを行うが、地域独自予算を来年度から導入するための制度設計や説明に時間を要している。このため市によると、目指す新たな仕組みのスタートは1期目の任期中には実現が困難な見通しとなっている。通年観光でも、高田、直江津、春日山のエリアごとの計画を2023年度までの2年間で作るが、議会では取り組み内容として示されたものについて具体性に乏しいとの批判が出た。

中川市長は10月の記者会見では「準備期間」という言葉を繰り返した。「緒に就いたばかりで、取り組んでいるもの、時間のかかるものなど熟度はさまざま」と説明。時間がかかる理由としては「一番やらなければいけないのは、市職員だけでなく市民も含めた人事改革、人材育成」と語った。一方、市長就任後すぐに着手し実現できた施策もある。病気の子どもを保護者に代わって病児保育室の看護師などが保育園に迎えに行き医療機関を受診させる「送迎対応病児保育事業」や「ふるさと納税」の返礼品の拡充などだ。特にふるさと納税の返礼品拡充は前市政から大きく方針を転換したにもかかわらず、合意形成などを含めて速やかに実行できた事業といえる。

公約は全部でいくつある?

「市長選の際に示した市長公約のすべてを、改めて明示していただきたい」──。こんな質問が市議会9月定例会で出た。中川市長は自身の公約については、政策パンフレットで示したもの以外に、YouTubeをはじめとした動画やSNS、街頭演説などで話したことなどを含めてすべてが公約だという見解を示している。市長の施策をチェックする議員としては、何らかの形で整理してもらわないと実際にどれが公約による事業なのか分からないということが背景にある。3期務めた村山秀幸前市長もその前の木浦正幸元市長時代も、市は市長就任時の公約を整理し、その総数、事業化した数、公達成割合を毎年市民に示してきた。9月に質問したのは滝沢一成市議(政新クラブ)。定例記者会見でも同様の質問が出ている。中川市長は9月の記者会見で、「事務方で、公約として把握しているものをきちんと捉えながら事業を進めている」「速やかに進めたい」と答えた。しかし、就任から1年が経過しようとする現在も公約リストは示されていない。

「市政立て直し」「答えを出す!」ののぼり旗

 

満面の笑みで握手する二人。昨年10月、市長選直前に出馬断念を表明した元市長の宮越馨市議が中川氏と政策協定を締結した際の一コマだ。しかし、蜜月関係はわずか数か月しか続かなかった。市長選で宮越氏は自身の提唱する子供年金をはじめ、市政全般にわたる独自の政策を示して中川氏と政策協定を結び、選挙戦で支援した。協定は、宮越氏の政策のうち、地域分権など方向性の合うものを取り入れ、宮越氏は中川市政誕生に向けて支援するという内容だった。また、当選後については「宮越馨のノウハウを生かせる態勢をとる」と明記していた。しかし、2月に発表された新年度予算案は、宮越氏の主要な政策は予算化されず、事実上の「ゼロ回答」だった。12月議会で中川市長自身がニーズ調査を検討するとしていた子供年金は、調査費すら予算化されなかった。宮越氏は新年度予算議会で「期待されたダイナミックさを欠いており、ビジョンもない」「私との約束は有権者との公約。ほとんどが無視されたことは有権者に対する欺瞞(ぎまん)行為だ」と批判。予算案に賛成できないとして採決を棄権した宮越氏は、控え室に戻ると、壁に張ってあった中川市長の選挙ポスターをびりびりと破り、丸めてごみ箱に捨てて見せた。今秋から市内の主要な交差点などに立ち始めた「市政立て直し」「答えを出す!」というのぼり旗は、宮越氏による、中川市長との決別の表明であると同時に、次の一手を示唆する市民へのメッセージだ。

市内各地に立つ「市政立て直し」ののぼり旗

政治スタンス

就任前から自ら「どちらかと言えばリベラル寄り」と公言し、選挙でも国政野党系の応援が目立っていた中川市長。しかし市長就任後は、5月の知事選、7月の参院選、原発政策などでの中川市長の対応は、リベラルな中川氏の立ち位置に期待していた野党系の支持者らを落胆させた。右も左もなく、あまねく市民の声を聞き、その生活を預かる基礎自治体の長にとって、国、県、政権与党との関係づくりは、不可欠だ。「『変革』と『秩序』のバランス」への苦心が、政治スタンスの微妙な変化という形で表れている。

市長選と同日選挙となった昨年の総選挙では、立憲民主党の梅谷守氏(新潟6区)の出陣式に駆けつけた

現職の花角英世知事と脱原発を訴える新人候補の一騎打ちとなった今年5月の知事選では、現職の花角英世知事の応援を明言。街頭演説に駆け付けてマイクを握り声を張り上げた。与野党対決となった7月の参院選では「どちらも応援しない」という対応をした。また、中川市長は当選前から、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働について県内の議員有志で作る「UPZ議員研究会」のオブザーバーで、事前了解権を持つ自治体を半径5〜30km圏内の避難準備区域(UPZ)の7市町まで拡大すべきとする同会の考えに賛同。就任後も「事前了解権は必要」との考えは一貫して維持している一方、「7つの自治体で認識は共有されてない。安全協定を求めるのは現時点では難しい」「私が出掛けて行って運動して、事前了解権を得ようということまでやるつもりはない」と表明している。原発の運転期間などについて、市議会で「政府の方針はあなたの公約と矛盾している。公約をかかげて当選したのだから、自信を持って国に言うべきだ」と橋爪法一市議(共産)に厳しく詰め寄られた。中川市長は「今後の議論の推移を見てコメントしたい。現時点では申し上げられない」と述べるにとどまった。こうしたやり取りに中川氏を応援した支持者の一人は「市長になったからというのも分からなくはないが、知事選や原発政策ではもう少し明確なスタンスでやってもらえると思っていた」と話す。

「ノーサイドでオール上越」なるか

中川市長は当選直後から政界や経済界などあらゆる方面に対して「ノーサイドでオール上越」と呼び掛けた。

市長選では地元経済界のほか、市議会議員(定数32)のうち、24人が落選した前副市長を支援した。「上越市が生き残っていくためには敵だ味方だと言っている時代ではない。信頼関係を作って対話していきたい」との思いで呼び掛けた。先月、後援会による「励ます会」が当選後初めて開催され、中川市長誕生を支えた支持者ら約160人が集まった。しかし、顔ぶれをみると、地元経済界の主要な関係者などはほぼおらず、1年前の選挙時の総決起大会と同じ面々だった。中川氏を支援してきた関係者の一人は「選挙で応援してもらえなかった政財界の面々ときちんとつながって、現職の市長にふさわしい後援会組織を作り上げる必要がある。それができなければ2期目はない」と今回の会のあり方に苦言を呈していた。中川市長も「次回以降はあらゆる政党、組織などあらゆる方々を集めた会にしていかなければいけないと思っている」と後援会再編に意欲を示している。

1年の自己評価は「70〜80点」

最初の1年について中川市長は「基本的にはまだある意味準備段階」とした上で、「70〜80点は採れているのではないか」と自己評価した。欠けている20〜30点について記者会見で問われると、「3000人もの組織運営をしたことがない。支えられながら知らないことを教えていただきながら進んでいく。少しの失敗もあったがそれを乗り越えながら信頼関係を作りながら進んでいきたい」と答えた。

2年目へ

中川市長にとっては1年目は、自ら掲げ当選という結果を勝ち取った「改革と変化」に対し、厳然と存在する「安定と秩序」を求める現実とのギャップに腐心してきた1年だった。2年目に突入するとすぐ今月末には市議会12月定例会が開会する。目玉公約の副市長4人制導入を1年前に否決した議会と、同じ議案をめぐり再度対峙しなければならない。市議会は闇雲に変化を拒んでいるのではない。副市長4人制について、1年前に反対した議員は「反対ありきで反対したのではない。単純に、なぜ必要なのか分からないから賛成できない」と話す。求められているのは納得のいく説明だ。2度否決されれば、3度目はない。この1年間の対話や説明がどれだけ真摯に行われてきたかが問われる。2年目も、しばらくは「変革」と「安定」の間の綱渡りが続きそうだ。中川市長は2年目以降についても引き続き「上越市が持つ高いポテンシャルは唯一無二の宝物。市民と共に大切に守り育て、子供や孫に伝え、全国、世界へと発信していきたい」「市民の幸せにつながるように政策を進めていきたい」と意気込んでいる。

<おわり>