「○○山から雲が出た…」は上・中越地方特有の応援歌だった!

新潟県上越地方の多くの学校では、運動会に「妙高山から雲が出た……」で始まる応援歌を歌っている。調べてみると、地域によって山の名が「米山」や「南葉山」に変わっており、中越地方でも歌われていることが分かった。同じメロディーで「○○神社の神主がおみくじ引いて申すには……」は、全国の学校で歌われており、広島東洋カープの応援歌としても知られる。なぜ、上・中越地方だけ独自の歌詞が付け加えられたのか、秘密を探ってみた。

応援合戦
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例として、上越市立稲田小学校の「第一応援歌」の歌詞は次の通りである。唱歌「花咲じいさん」の替え歌である。

♪妙高山から雲が出た
 それはなんのしるしでしょう
 今日の勝負は白(赤)のかっちかち

すわのお宮のかんぬしが
 おみくじ引いて申すには
 今日の勝負は白(赤)のかっちかち♪

妙高山の雲は白いので白軍用の応援歌にし、赤軍は別のバージョンを用意している学校もある。南本町小では白軍が「妙高山に出る雲は…」で、紅軍は「東に昇る太陽は」である。東本町小は白軍が「妙高山から雲が出た」で、赤軍は「妙高山が噴火した」。上雲寺小は白軍が「妙高山から雲が出た」で、赤軍は「妙高山から日が昇る」となっている。

山の名前は、上越市、妙高市では妙高山が圧倒的だが、飯小は南葉山である。柏崎市では米山、青海は黒姫山、長岡は悠久山、南魚沼は金城山などが多い。神社名は、春日小が「春日神社」、諏訪小が「白山神社」、戸野目小が「戸野目神社」など、各地域でさまざまである。

広島東洋カープの応援歌「宮島さん」

 ところで、「○○山から雲が出た」のバージョンは上・中越地方にしかないが、「○○神社の神主が」のバージョンは全国にある。有名なのは広島東洋カープに得点が入った時に歌う「宮島さん」である。

「宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには 今日もカープは 勝ち勝ち勝ち勝ち」という歌詞で、同じく「花咲じいさん」の替え歌である。なぜ、新潟県から遠く離れた広島なのだろうか。

元は甲子園の常連校、県立広島商業高校野球部の応援歌で、歌詞は「宮島さんの神主が御みくじ引いて申すよう、いつも広商は勝ち勝ち勝ち勝ち」である。応援する時に盛り上がるのでいつの間にかカープファンが勝手に歌い出したものだという。今年のカープはセ・リーグの首位にいるので、「宮島さん」が良く歌われているはずだ。

しかし広商で歌われる前の歴史がある。ひろしま郷土史研究会が1982年に発行した「ふるさとひろしま」第4号に、渡辺通氏が「野球応援歌『宮島さん』誕生由来記」を書いている。

「ふるさとひろしま」に掲載された由来記
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それによると、1897年(明治30年)頃、広島県西部に位置する廿日市市の地御前(じごぜん)で、青少年がハワイの移民帰りの人に習って野球の試合を始めた。1907年(明治40年)頃に他町村との対抗試合で「いつも地御前が勝ち勝ち勝ち勝ち」と歌われ、原型ができた。1911年(明治44年)夏には「宮島さんの神主が~」のフレーズが頭に付け加えられたという。

元歌の唱歌「花咲爺」は1901年(明治34年)に発表されたので、時期はぴったり合う。この応援歌が全国に広がっていき、運動会などで歌われるようになったのは歌が持っている力だろうか。

いつ頃かは分からないが、新潟県では新たに「○○山から雲が出た」の歌詞が付け加えられた。「○○山から雲が出た」と言えば、柏崎地方の民謡「三階節」の歌詞、「米山さんから雲が出た……」が思い浮かぶ。三階節からの連想で、新たな歌詞が付け加えられ、独自の進化を遂げたのだろうか。

【お願い】
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