ロシアのソチで開催中の冬季五輪は2014年2月17日夜(日本時間18日未明)、ノルディックスキー・ジャンプ男子団体が行われ、新潟県妙高市出身の清水礼留飛選手(20=雪印メグミルク)が1番手を務めた日本が銅メダルを獲得した。清水選手は上越地域出身選手として夏冬通じて初の五輪メダリストに輝いた。妙高市田口の妙高高原メッセでは、清水選手を応援するパブリックビューイング(PV)が行われ、約120人が喜びを爆発させた。
ジャンプ男子団体には12か国が出場。各チーム4人が2回ずつ飛び、計8回のジャンプの合計点で争った。1番手を務めた清水選手は、1回目で132m50を飛び127.8点、2回目は131m50を飛んで132.6点をマークし、日本の銅メダルに貢献した。
妙高市教育委員会と、妙高高原ジュニアスキー育成会が主催したPVには、日本時間で18日午前2時過ぎの競技開始にもかかわらず、市民らが続々と集まり日の丸飛行隊に声援を送った。清水選手が登場すると、バルーンスティックを叩いて「礼留飛、礼留飛」の大合唱。県出身選手として冬季五輪初の金メダリスト誕生はならなかったが、清水選手ら日本の銅メダルが決まると、会場の熱気は最高潮になった。くす玉を割り、万歳三唱の声が響き渡った。
清水選手の母方の祖父で、同市田口の曽根原一男さん(80)は「メダルを取って言うことない。16年前、小さい礼留飛を連れて長野五輪のジャンプを見に行った。本当に成長した」と目を細めた。
清水選手の活躍を受け、PVに参加した同市の入村明市長は清水選手の栄誉をたたえ表彰する意向を示した。入村市長は清水選手の活躍に「本物だった。今後もスキージャンプのリーダーになってほしい」と笑顔を見せ、さらに「市として表彰する方向で考えている。今後、どういう形で表彰するか検討したい」と話した。
また清水選手を祝う会についても「この場所(妙高高原メッセ)で開きたい」と時期は未定ながらも開催する意向を示した。
なお、礼留飛(れるひ)選手の名前は、日本にスキーを伝えたオーストリア・ハンガリー帝国のテオドール・フォン・レルヒ少佐に由来する。スキー複合の国体選手だった父・久之さんが名付けた。礼留飛選手の故郷・妙高市に近い、上越市の金谷山には、レルヒ少佐の業績を伝える日本スキー発祥記念館がある。新潟県のゆるキャラで全国的な知名度を持つ「レルヒさん」は、レルヒ少佐にちなむ。今回のPVには、レルヒさんも応援に駆けつけた。
↓清水礼留飛オフィシャルサイト
http://www.shimizureruhi.com/
↓清水礼留飛公式ブログ
http://shosa.ens-serve.net/
↓レルヒさん公式サイト
http://www.niigata-snow.jp/lerch_pc/
↓日本スキー発祥記念館(上越市ホームページ内)
http://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/bunka/sisetu-ski-.html