上越市の高田公園 「日本三大夜桜」の謎

新潟県上越市の高田公園には約4000本の桜があり、毎年4月に開かれる「高田城百万人観桜会」では約3000個のぼんぼりに灯がともされ、県内外から多くの観光客が訪れる。ことに、堀の水面にぼんぼりや桜が映るさまが美しく、同市などは「日本三大夜桜」とPRしている。ところで、「日本三大夜桜」の高田公園以外の2か所はどこなのか、そしていつごろから言われているのか。過去にさかのぼってみると、意外な事実が分かった。

「高田城百万人観桜会」の名物「桜ロード」
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「日本三大夜景」から「日本三大夜桜」へ

まずは「日本三大夜桜」という言い方だが、これは名数といい、同種のものをひとまとめにして数字を頭に付けた数づくしのこと。「日本三景」「三大祭り」など、日本各地に数多くある。起源を明らかにしようと、「日本『三大』なんでも辞典」(王様文庫)、「『日本三大』雑学辞典」(PHP文庫)を調べたが、載っていない。

最初から壁に突き当たったが、1982年(昭和57年)発行の「新潟県の昭和史」(毎日新聞社)に「夜桜は日本三大夜景といわれている」という箇所を見つけた。さらに1978年(昭和53年)に朝日新聞記者の小林金太郎氏が書いた「わがまち上越」(高田文化協会)にも「お堀に映える高田城跡の夜ざくらの美しさは、日本三大夜景の一つだ」とある。この頃は「三大夜桜」ではなく、「三大夜景」だったのだ。

上越市の中学校で社会科の副読本として使われた「わが郷土上越」には、2か所で高田公園の夜桜が紹介されているが、「日本三大夜景」と「日本三大夜桜」の両方が混在して使われている。この副読本は1985年(昭和60年)の発行である。このころから「夜桜」が勢力を伸ばし、「夜景」が使われなくなってくる。

その背景には、函館、神戸、長崎の「日本三大夜景」が有名になったことが挙げられるのではないか。いずれも高台から市街地を眺める夜景を指し、ぼんぼりが演出する夜景は、豪華さやスケールの大きさで太刀打ちできなくなった。それで「日本三大夜桜」に切り替わっていったようだ。

ルーツは「日本三夜景」

高田城跡の桜は、高田城に第十三師団が入城したのを祝い1909年(明治42年)3月、旧高田町と高城村の在郷軍人団が寄付を募り、2200本を植えたのが始まり。綺麗に咲きそろったのは大正時代に入ってからで、高田市保勝会が主催し、堀に沿って数百のぼんぼりを取り付けて第1回観桜会を開いたのは1926年(大正15年)4月だった。東京、名古屋、仙台などの主要都市にポスターを張り出し、10日間で14万4200人が高田駅に降り立つ人気ぶりだった。

高田保勝会が発行した「日本三夜景」のキャッチフレーズがある絵はがき
 裏面を見たい場合はここをクリック
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高田保勝会が発行した当時の絵はがきがある。保勝会は1927年(昭和2年)7月に観光協会に発展しているので、第1回観桜会が開かれた直後に製作された絵はがきのはずだ。それには高田城址の夜桜の写真が印刷されており、裏面の説明に「日本三夜景」とある。ついに突き止めた。「日本三大夜桜」のルーツは「日本三夜景」であり、第1回観桜会の直後から使われていたキャッチフレーズということになる。

あとの二つは……

日本三大夜桜で、あとの2か所はどこだろう。現在は弘前公園(青森県弘前市)と、上野恩賜公園(東京都台東区)とされる。だが、以前は「京都の円山公園長崎の丸山公園」といわれていた。1978年(昭和53年)に発行された前述の「わがまち上越」(小林金太郎著)には「市商工観光課が『京都の円山公園と長崎の丸山公園だ』と市民にPRしている」と書かれている。一番新しいものでは1993年(平成5年)2月号のタウン誌「月刊ゆうほう」もこの説を掲載している。つまり、20年前までは別の2か所を挙げていたが、その後乗り換えたということになる。

京都の円山公園も、長崎の丸山公園も桜の規模が小さいことから、夜桜の名所として名高い弘前と上野に乗り換えたのだろうか。どっちにしろ、「三大夜桜」と称しているのは高田だけである。

さらに続きがある。1967年(昭和42年)4月23日付読売新聞の記事を見つけた。「高田城址公園の夜ザクラは、日本三夜景の一つとして有名」とあり、その歴史などがくわしく書かれている。その中で第1回の観桜会について、こんな記述があった。

「ボンボリのあかりと花びらが堀の水面にはえる夜景を見た花見客は『長良川のウ飼い、厳島の灯ろう流しとともに高田夜ザクラは、日本の三夜景』だとほめちぎった。ここから高田の夜ザクラを日本三夜景の一つと呼ぶようになったという」

また新たな三夜景が出てきてしまった。

おまけ

昭和11年(1936年)に高田市が発行した「産業要覧」と、1945年(昭和20年)発行の「高田市勢要覧」、1956年(昭和31年)に高田市が発行した「観光と物産」には、いずれも「内濠、外濠をめぐる数千株の桜樹は『北国第一の美観』と称される」とある。つまり、夜桜とは別に、桜の本数や美しさをアピールするキャッチフレーズもあったことになる。

高田市が発行した「観光と物産」
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