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清里区の「櫛池隕石」は大正時代に落下!

7年前

ロシア南部ウラル地方のチェリャビンスク州付近で2013年2月15日午前9時20分ごろ、隕石が上空で爆発し破片が落下、衝撃波などで負傷者多数が出た。ところで、新潟県内で落下が確認されている隕石が2例ある。一つは天保8年(1837年)年に蒲原郡富永村(現在の燕市)に落下した「米納津(よのうづ)隕石」。もう一つが大正9年(1920年)に櫛池村(現在の上越市清里区)上中条に落下した「櫛池(くしいけ)隕石」だ。「米納津隕石」は東京の国立科学博物館が所蔵しているため、県内に現存しているのは櫛池隕石のみとなっている。隕石が落下すれば今でも大ニュースになると思うが、当時の様子はどうだったのだろうか。

「櫛池隕石」(2011年8月 星のふるさと館で特別展示)
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櫛池村に隕石が落ちた1920年9月16日は、良く晴れた日だった。上中条の村人は道路修繕のため、櫛池川の河原から石を運んでいた。夕方6時半ごろ、南から北の方に白い煙を引き、「ゴー」という大爆音が走ったのが見えた。そのときの模様を、当時の高田新聞は「爆音と黒煙を立てて大空から金色の石塊が落下す」という見出しで、生々しく伝えている。

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「突如天空に飛行機の爆音の如き大音響聞(きこ)ゆると思うまもなく、夕陽さす空中より黒煙を立てて何物か落下し来たれるものあり。青田に落下するや泥土の下二三尺も埋まりたれば、字内の人達は驚きその現場に駆け付けたるに、青田の稲五尺四方は泥が四散し、稲は飛ばされいたれば字内一同協議の上、消防組員と共同して掘り出したるに直径六寸の石塊にて、外面は赤銅色を呈しおるも中は金色に光りおる珍石にて、右は多分流星の落下し来たれる隕石なるべく協議の結果、大字内に於いて珍蔵する事に決せるが、かかる大なる隕石の落下し来たれるは珍しきことと言うべし」(1920年9月18日付)

この隕石は東京、栃木、群馬、長野でも目撃されており、光度が-6.5等(金星の約10倍)、大きさは月の直径の約6分の1の大流星として記録されている。

落下場所は櫛池川の北西岸、櫛池小学校西側の水田で、秋の刈り入れを待つばかりとなっていた。落下の際、5間(約9m)ほどの水煙が上がり、村は大騒ぎとなった。爆弾ではないかと村人は恐れたが、棚田集落の笹川九一郎区長が消防団を指揮し、同日午後10時ごろ、土中3尺(約90cm)に埋没していた隕石を拾い上げた。掘り上げた石を見て、当時の櫛池小学校の臼井校長が「これは隕石といい、星の落下したものである」と断を下した。

隕石は重さ4.42kg、直径18cmで、国内でも有数の大きさだという。隕石は棚田の観音堂に安置され、「神様の石」としてあがめられた。記録によると、2週間後の10月3日には、参観者が1万5000人に達したという。参観者は高田方面からが多く、長い列が続いた。夜になると、2人ずつの監視人が付くほどの大騒ぎとなった。

そのうち、当時のお金で1万円という高額で買いたいという東京の趣味人が現れ、所有権をめぐって地主、耕作者、発掘者の三者で争った。なかなか決着が付かなかったため、櫛池小学校の校長室の金庫に長い間保管されていた。

隕石は昭和49年(1974年)3月30日、新潟県天然記念物に指定された。現在は星のふるさと館(冬季休館)に展示されており、新潟自然科学館にもレプリカが飾られている。隕石の落下地点は、隕石落下公園として整備され、モニュメントやクレーターも再現されている。

隕石落下公園。落下地点にある三角形のモニュメントは、この角度で隕石が落下したことを示す
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