今から約330年前の江戸時代、新潟県上越市中ノ俣付近に出没し人を襲った怪獣、「猫又」を村人の吉十郎が退治したという伝説をNPO法人かみえちご山里ファン倶楽部のメンバーらが講談風の劇に仕立て2012年5月3日、同集落の春祭りで披露した。吉十郎が猫又を倒すと、住民から大きな歓声が巻き起こった。
かみえちご山里ファン倶楽部は「吉十郎の伝家も存在し、文献や使った刀なども残っている有名な話なので、風化させたくなかった」と、五穀豊穣を祈る春祭りの中で劇に仕立てて演じることにした。
猫又の面は同倶楽部の関原剛専務理事(51)が、直径50cmほどの大きさに桐の木を貼り合わせ、顔を彫ってから合成うるしを塗って製作した。昨年の12月から作り始めたが、獅子舞の面のように口を動かすため片手で支える必要があり、「5分やるだけでもやっとなほど重い」という。猫又の面のほか、吉十郎の面も作り、いずれも中ノ俣の村社である気比神社に奉納した。
当日は気比神社を出発したみこしが集落内を練り歩き、再び神社に戻る途中、中ノ俣橋近くの道路上でお披露目した。住民ら大勢集まって見守った。
講談のように弁士が読み上げる話に合わせ、吉十郎役は猫又と壮絶な戦いを繰り広げ、互いに傷ついて倒れるまでを演じた。
最後に吉十郎から十六代目にあたる子孫、牛木一郎さん(65・春日新田在住)が駆けつけ、「人が困っていたとき、命を絶って村民を守った吉十郎が、今も私の精神です。この話を中ノ俣の宝として受け継いでいってほしい」と述べた。
◇猫又退治の伝説
「猫又退治」は天和年間(1681~83年)に起こったとされる話。重倉山に体長9尺(約2m70cm)の恐ろしい怪獣「猫又」が住んでおり、村人や家畜を襲ったので村人は恐ろしくて外出もできなかった。
代官に掛け合ったところ、代官は足軽数十人に弓や鉄砲を持たせて中ノ俣に向かわせた。村人もかり出され、総勢は1000人を超えた。しかし、猫又は目にも止まらぬ早さで出没し、鉄砲を撃っても命中しなかった。
村人の中に熊をも殺すほどの力と技を持つ吉十郎がいたが、病み上がりだった。しかし、役人の熱心な誘いもあり「世の中のためになるなら」と引き受けた。
林の中に入り込むと、まもなく猫又が跳びかかり、壮絶な戦いが始まった。吉十郎は足を噛み付かれながらも必死に戦い、ついに刀で猫又ののどを突いた。
猫又は死に、吉十郎は虫の息で村人が連れて帰ったが、まもなく死んでしまったという。 猫又は現在の大町1の土橋稲荷に埋められたが、人々はいつしか猫又稲荷と呼ぶようになった。