1年のはじめである1月には、新潟県上越市の偉人3人に関連する記念日が3回もある。毎年、12日の「スキーの日」には上越市の金谷山で、日本にスキー技術を伝えたレルヒ少佐の偉業をたたえるイベントが繰り広げられるが、スキーの日だけではなく、ほかの記念日にもイベントを行って全国にアピールしてもいいのではないだろうか。
◇レルヒ少佐の偉業を称える「スキーの日」(1月12日)
1月12日は「スキーの日」。1911年(明治44年)1月12日にオーストリア・ハンガリー帝国の武官、テオドール・フォン・レルヒ少佐が新潟県の高田(現・上越市)で陸軍歩兵第58連隊の青年将校にスキー指導を行った。この日が日本人にスキー技術を伝えた“スキー事始め”の日として2002年、(財)日本鋼索交通協会、(財)全日本スキー連盟(SAJ)、(社)日本職業スキー教師協会(SIA)など、スキー関係6団体が定めた。
金谷山スキー場では、1994年(平成6年)から献花や一本杖スキーの披露などの行事を行い、レルヒ少佐の偉業を顕彰している。また、全国各地のスキー場でも記念イベントが行われている。
◇上杉謙信が武田信玄に塩を送った日「塩の日」(1月11日)
1月11日は「塩の日」。川中島の戦いで知られる戦国時代の宿敵、越後春日山(現・上越市)の上杉謙信と甲斐の武田信玄にまつわる話に「敵に塩を送る」というものがある。
1569年(永禄11年)、甲斐、相模、駿河三国の和が破れ、信玄が駿河に攻め入った。今川氏は北条氏とはかり、三国同盟を破った報復措置として、甲斐へ塩を送ることを全面的に禁止した。これを知った謙信は、戦いは兵をもってするもので、米や塩を止めて民衆を苦難に追いやる経済封鎖をよしとせず、以前と同様に塩を輸送するように命じた。この美談はのちに頼山陽が賞賛して有名になった。
塩は、新潟県糸魚川市と長野県松本市間を結ぶ「塩の道・千国街道」によって運ばれたもので、塩が松本に到着した1月11日を記念日に制定した。
甲斐の人々は謙信の心遣いに感謝し、塩が届いた日を記念して開いたのが「塩市」だという。明治に入り塩が国の専売事業となると、当時全国1位の生産量を誇っていた飴を売ることにし、名称を「あめ市」へと変えて市の存続に努めたという。あめ市は塩の到着日に近い1月の第2土、日曜に開かれている。
◇前島密により定められた郵便業務が開始「郵便制度施行記念日」(1月24日)
1月24日は「郵便制度施行記念日」である。1871年(明治4年)のこの日、東京―京都―大阪間で郵便業務が開始された。それまでは飛脚便に頼っていたが、渡英して学んだ高田(現・上越市)出身の前島密の建議により郵便制度が定められたのである。