日本にスキー技術が伝えられた上越市の金谷山に、「ベルリン坂」と「オランダ坂」という外国の名称が付いた坂があることをご存知だろうか。
スキーを伝えたレルヒ少佐は、オーストリア・ハンガリー帝国の人なので、ベルリンやオランダの坂に似ていることから名付けたのだろうか。長崎に有名なオランダ坂があるので、それにちなんだものだろうか。だが、坂とは言ってもヨーロッパにあるような石畳の情緒ある坂ではなく、単なる山の斜面である。疑問は深まるばかりだ。
まずは、金谷山で現地を確認した。
ベルリン坂はレルヒ少佐の銅像のすぐ下から向山を登る斜面にある。さらに、金谷山リフトの終点の白旗山(標高132m)まで続き、頂上からスキーで滑降すると一番長いコースになる。初心者、中級者向けのコースである。急な坂を上がると、白旗山とBMX場への分岐点に「ベルリン坂」の道標が建っていた。レルヒ像から約230mの地点である。
次はオランダ坂。ベルリン坂の道標からBMX場方面へ坂を下ってゆく。150mほど歩くと、BMX場と向橋方面への分岐点になる。ここに「オランダ坂分岐点」の道標があった。ここから向橋集落に通じる約700mの道がオランダ坂である。
ではなぜ、外国の名称が付いたのだろうか。地元の人や、スキー関係者に聞いたが、誰も知らなかった。出版物を調べても書かれていない。
ようやくたどりついたのが、金谷山で旅館「対米館」を営む元上越市議の星野実さん(86)。「先代の父から聞いた話だが、大正時代、金谷山はまだスキー場として整備されておらず、スキーと言えば山スキーだった。今のクロスカントリーだ。当時、いろいろな国の選手がやってきて、金谷山で地元の人にスキーを教えたので、その国にちなんで市民がベルリン坂や、オランダ坂の名称を付けた」と話す。
ベルリン坂は冬だけではなく、スポーツ選手の体力強化に使われるなど、ある程度市民に知られている。だが、オランダ坂は知る人も少なく、道標だけがひっそりと歴史を示している。