2011年3月6日の記事「日曜ダンサー かに池君の華麗なるステップ」に関連し、facebookページの中で「かに池」という不思議な地名の起源について、昔から地元に伝わる伝説のダイジェストを書いたところ、各方面から反響がありました。
上越地方の伝説を研究していた故・小山直嗣さん著の「上越の伝説」などにも収録されていないため、今この伝説を知っている人はほとんどいないはずです。
上越市にイオン(旧ジャスコ)ができる前、藤野新田から春日新田に向かう県道上越-新井線に三田新田に通じる三差路がありました。そこには松の木があって、地蔵様がまつられていました。田んぼの水の分岐点でもあり、以前は小さな池になっていました。地域の人が「かに池」または、「がに池」と呼んでいた池にまつわるお話です。
上越の伝説「かに池」
昔、安江に住む石田という旦那が金屏風を一双買い、それに絵を描いてもらう画家を誰にしようかと考えていました。
ちょうどその時、一人の汚らしい旅の画家が来て「聞くところによれば、お宅で金屏風を買われたそうだが、何か描かせてもらえまいか」といいました。
主人は、あまりに見苦しい姿の画家なので思案し、酒を出して家の者にあしらわせておきました。
画家は酒を飲みながら、「濃い墨汁を顔洗い用のたらいに2杯すってくれ」と言って、酒を飲み終わると眠ってしまいました。
番頭や下男などが総動員してようやく墨汁ができたところで画家は目を覚まし、馬用のわら靴を所望しました。画家はそれに墨汁をたっぷり含ませて、金屏風にベタベタと子供のいたずらのように描いたので、金屏風は台無しになってしまいました。
そこへ主人が出てきて、「せっかくの金屏風を何としたことか」と怒りだしました。画家は「いけないとおっしゃるなら消しましょう」と言うので、「消せるものなら消してくれ」と主人は言いました。
そこで画家は、番頭に頼んで、馬用のたらいに水を入れて持って来させました。家の者はどうすることかと画家のやることを見ていると、画家は金屏風の端を馬だらいに向けさせ、自分は棒を持って屏風の端から「シッ、シッ」と言いました。
すると今まで馬のわら靴で描いた墨跡が、次から次へとカニに変わって馬だらいの水の中にはっていったので、家の者は驚いてしまいました。
主人はあわてて「ちょっと待ってくれ。せっかくのカニだから2、3匹残しておいてくれ」と言うと、画家は「では、2、3匹残しましょう」と言って残したそうです。
この屏風は、今どこにあるか分かりませんが、画家は名前をきかれて「狩野法眼(元信)」と答えたそうです。
そして馬だらいの中に入ったたくさんのカニを捨てた池はカニ池と呼ばれました。昔はそこにたくさんのカニがいたそうですが、絵から抜け出たカニなので、柔らかすぎて食用にはならなかったといいます。
その後、石田家は没落し、金屏風の行方も分からないままになっています。