上杉景勝公は卯年に深い因縁があった!

2009年のNHK大河ドラマ「天地人」で叔父・謙信の養子になり、春日山城主として君臨した上杉景勝は、1555年(弘治元年)の卯年生まれであり、幼名は卯松であった。 「寡黙の名将」として激動の時代を生き抜いた上杉景勝の年譜を見ると、不思議なことに卯年が大きな節目になっている。

南魚沼市龍澤寺にある景勝公生誕の地石碑
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卯年生まれの守護仏は「三人寄れば文殊の知恵」で知られる文殊菩薩である。景勝の母、仙桃院は文殊菩薩に深く帰依し、合戦勝利と武運長久を願った。生誕の地、南魚沼市の龍澤寺(りゅうたくじ)には、仙桃院が奉安した厨子入り文殊菩薩像が本尊として鎮座している。同寺では「あやの文殊」と称している。

  • 景勝が24歳の1579年(天正7年)は、前年に謙信が没した後、上杉景虎と家督相続を巡る御館の乱が起きる。武田勝頼と盟約を結んで景虎を破り、謙信の跡目を相続して越後国春日山城主となる。
  • 36歳の1591年(天正19年)には、豊臣秀吉が朝鮮出兵を景勝に命じた。翌年兵5000を率いて、春日山城を出発した。
  • 48歳の1603年(慶長8年)には、徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開いた。景勝は伏見で家康に謁見している。
  • 60歳の1615年(元和元年)には大阪夏の陣が起きた。景勝は家康から大阪城攻めの令を受け、出陣した。

いずれも、卯年に人生の大きな節目を迎えているのである。

謙信公祭のパレードで手を振る「天地人」で景勝を務めた北村一輝さん
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