上越産アカシア蜂蜜は一級品!これが採取現場だ

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甘い香りがするニセアカシア(学名・ハリエンジュ)の花を求めて、鹿児島県の養蜂場が、5月下旬から上越市で蜂蜜を採取している。2010年6月8日は、大潟区に設置している蜂場(ほうじょう)で2回目の採蜜作業を行った。

=動画2分17秒=

大潟区の国道8号南側は驚くほどのニセアカシアの群生地。鹿児島県末吉町の新屋(しんや)養蜂場は毎年、蜜を求めて北海道までの旅を続けており、今年は新屋喜代子さんと、長男の成登さんら4人が上越市内で採蜜作業にあたっている。

「今年は寒く、1週間から10日ほど花が遅かったのであきらめていたが、蜜の付きは良かった」と成登さんは話す。

大潟区の蜂場には鹿児島から運んできた50個の巣箱が設置され、約150万匹のミツバチが明け方から暗くなるまで休みなしに働き、蜜を集めている。

巣箱から取り出した巣板を遠心分離機にかけ、蜜を絞る。「アカシア蜜は透明度があって、サラッとしていて、癖がない。冬になっても結晶しにくい。西の横綱がレンゲ蜂蜜なら、アカシア蜂蜜は東の横綱と言われる」と話す。

上越のこの季節はほかの花がほとんど咲いていないため、混じりけのない純粋なアカシア蜜が採取できるという。

上越の後は北上し、北海道の富良野や滝上町などで9月下旬まで採取を続ける。

新屋養蜂場の国産100%のアカシア蜂蜜は、なおえつ茶屋、県立中央病院売店、うみてらす名立などで販売している。

ニセアカシアの花
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日本人に愛されたアカシア

明治時代に日本に入ってきた北米原産のアカシアは、日本人に愛され、多くの歌にうたわれてきた。

正式にはマメ科ハリエンジュ属のニセアカシアだが、日本では単にアカシアと呼ばれることが多い。本来のアカシア(ネムノキ科アカシア属)が日本に輸入されてから、区別するためにニセアカシアとしたためで、歌では、長く親しまれたアカシアの呼称が今も広く使われている(ニセアカシアでは歌にならないという理由もあるが)。

古くは昭和初期の唱歌「この道」(北原白秋作詞)、1960年代に入って西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」(1960年)、石原裕次郎の「赤いハンカチ」(1962年)、その後はNOKKOの「人魚」(1994年)、松任谷由実の「acacia」(2001年)、レミオロメンの「アカシア」(2004年)などでうたわれているアカシアは、すべてニセアカシアである。

新しいところでは、6月23日に Q;indivi+(キュー・インディヴィ・プラス)のニューアルバム「ACACIA」が発売される。チバユウスケの激しいボーカルが特徴的な表題曲だ。

文学では清岡卓行の第62回芥川賞受賞作品「アカシアの大連」(1988年)が描いている中国のアカシアもニセアカシアである。

アントニオ猪木の初主演映画として6月12日に公開される「ACACIA」は、辻仁成原作の「アカシアの花のさきだすころ―ACACIA―」が原作である。

有名な札幌のアカシア並木も同様に、ニセアカシアのことである。

ニセアカシアは要注意外来生物!?

ニセアカシアは繁殖力が強く、日本固有種の成長を妨げるとして、2004年6月2日に制定された「外来生物法(特定外来生物による生態系等に係る被害防止に関する法律)」の候補として、規制される動きがある。

ニセアカシアが伐採されると貴重な蜜源を失うことになり、養蜂業者が減って国産蜂蜜の安定供給ができなくなくなる。

新屋養蜂場の新屋成登さんは、「国内に流通している蜂蜜のうち、国産の自給率はわずか5%前後しかない。アカシアは有用な蜜源であり、全国の養蜂業者で『アカシアを守る会』を結成し陳情活動を行った。アカシアはプラス面が大きいことを知ってほしい」と話していた。