第22回参議院選挙は2010年7月11日、投開票され、みんなの党公認(比例区)で立候補した元上越市長の宮越馨氏(68)は落選した。日付が変わった12日早朝、宮越氏は上越市鴨島の選挙事務所に集まった約20人の支持者を前に敗戦の弁を述べ、「ここで私の政治活動に終止符を打つ」と政界引退を宣言した。
みんなの党は比例区で7議席を獲得した。宮越氏の落選が判明したのは日付が変わった12日午前3時30分過ぎ。期待していた上越市分の票が思いのほか伸びなかった。
敗戦の弁で宮越氏は「自らの集大成の戦いと位置づけていた。今回はみんなの党の風もあり思いが届くと思ったが比例区の投票の仕方がこれほど個人名につながらないことに正直ショックを受けた」と話した。
比例区の投票は、政党名または個人名を書き、その総数で政党に議席を割り振った後、政党内の個人名の得票の多い順に当選となる制度。宮越氏としては「みんなの党」ではなく「宮越かおる」と書いてほしかったが、党名を書く有権者が圧倒的多数だった。
「思い出、印象に残っているのは市長としての市政改革。後になって高い評価を受けた。今回はその経験を生かす最大のチャンスだったが、結果はこういう風になった。皆さんには何年も何回もご負担をかけて、これ以上迷惑をかけることはできない。本当に長い間ありがとうございました」と支持者に感謝の言葉を述べた。
旧大蔵省を辞めて1986年の衆院選に出馬してから、その後上越市長選に当選。市長を2期務め落選後、県議選、知事選、2009年10月の上越市長選にも出馬した。今回の参院選で24年間で通算11回目の選挙だった。
敗戦の弁で宮越氏は「自らの集大成の戦いと位置づけていた。今回はみんなの党の風もあり思いが届くと思ったが比例区の投票の仕方がこれほど個人名につながらないことに正直ショックを受けた」と話した。
比例区の投票は、政党名または個人名を書き、その総数で政党に議席を割り振った後、政党内の個人名の得票の多い順に当選となる制度。宮越氏としては「みんなの党」ではなく「宮越かおる」と書いてほしかったが、党名を書く有権者が圧倒的多数だった。
「思い出、印象に残っているのは市長としての市政改革。後になって高い評価を受けた。今回はその経験を生かす最大のチャンスだったが、結果はこういう風になった。皆さんには何年も何回もご負担をかけて、これ以上迷惑をかけることはできない。本当に長い間ありがとうございました」と支持者に感謝の言葉を述べた。
旧大蔵省を辞めて1986年の衆院選に出馬してから、その後上越市長選に当選。市長を2期務め落選後、県議選、知事選、2009年10月の上越市長選にも出馬した。今回の参院選で24年間で通算11回目の選挙だった。