日本文理の大井監督、決勝戦の舞台裏語る

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昨年夏の甲子園で新潟県民だけでなく全国に感動を与えた日本文理高校野球部の大井道夫監督を招き、「感動から郷土愛を学ぶ」をテーマにした文化講演会(新井青年会議所主催)が2月7日、妙高市の妙高市文化ホールで開かれました。もはや伝説となった甲子園の決勝戦の舞台裏や、指導者・教育者としての考えなどを2時間以上にわたって熱弁。68歳という年齢を感じさせないパワフルな語り口で、集まった約800人の聴衆を魅了しました。(川村)

講演の模様をダイジェストでまとめてみました(一部、言葉をおぎなったり、語順を入れ替えたり、表現をわかりやすく変えている部分もあります)。

運があった


 県大会はコールドゲームで勝ち上がり、決勝戦でもダブルスコア。「このチームで甲子園で一つか二つ勝てなかったら、今後何回出ても勝てない」と思いました。それだけ自信を持っていたんです。

甲子園で30分だけ公開練習があるんです。暑いのなんのって。汗が止まらず、子供たちは肩で息をしているんですよ。「初日、2日目の試合だけは避けてもらいたい」と思いました。10分間のバッティング練習では全然球が飛ばないんです。3本ぐらいしか外野にいかない。暑さには4、5日あれば対応できそうだと思いました。

組み合わせ抽選の日(8月5日)。うちの席の後ろが(菊池雄星投手がいる)花巻東。マスコミの数がすごいんですよ。うちには地元マスコミがちょこちょこ(笑)。抽選は40何番目かで、花巻東の枠だけ残っているんです。「こりゃ、当たるな」と思っていたら、直前で回避できた。

抽選では中村大地主将がくじを落としちゃったんですよ。拾い直さないで隣のを引いたの。落としたくじは九州の明豊高校(大分代表)だったんですよ。150キロ以上の球を投げるピッチャー(今宮健太投手)がいるチームとやるよりは、失礼ですが(春夏通じて初出場の)は寒川(香川代表)の方がね。非常にラッキーな面がありました。

キーポイントは初戦


 相手チームのビデオなんてすぐ手に入るんです。「(寒川の)ピッチャーは大したことないし、伊藤直輝は2、3点で抑えられる」な、と安心しちゃった。それで「外へ飯でも食べに行くか」って。

ところが試合では(寒川の左腕、斉投手が)ものすごい。びゅんびゅん球が来るんです。うちの子供たちは、芯でボールをとらえられないんです。

だが、相手の監督はピッチャーを代えてきた。リードしたら(右腕の高橋涼が)リリーフして抑えるという継投で香川の大会を勝ち上がってきた。代わったのは2年生で、有力チームが取り合ったぐらいのピッチャー。甲子園の雰囲気に飲まれたのか、体調が悪かったのか、全然ボールが来ていないんです。「間違いなく打てる」と言いました。

(4-3で)初戦に勝てたことが、決勝までいけた最大の原因でした。甲子園に4回出て1回も勝っていないことに、選手も相当のプレッシャーがかかっていました。

寒川に一つ勝ったら、子供の動きが全然違うんです。3回戦の日本航空石川(石川代表)は、6月に金沢の県営球場で戦って7-2で勝っているんです。ホームランもうちが2本。そのときノックアウトしたエースは今回投げてこないだろうと思っていたら、意地があるんですね。

練習試合でもヒット21本は打てないですよ。(12-5で日本文理が大勝)

天国の奥さんが見ている


 2年前、私の女房(秀子さん)が亡くなったんです。

子供たちには話さなかったんですが、どこかで知ったんでしょう。北信越大会(2008年秋季)で様子がおかしいんです。

富山商業との決勝戦で5回までに6点(7-1)負けているんです。ピンチのときに主将の中村がみんなを集めて上を指差して「ナンバーワン」ってやったんです。

不思議だったが、それは「天から監督の奥さんが見てるぞ、監督を甲子園に連れていこう」と激を飛ばしていたんです。

その試合は8回に(7点を挙げ)逆転しました(10-7で勝利)。

秋の北信越大会以来、勝つたびに選手がボールを持ってくるんです。「仏壇に飾ってください」って。うちの仏壇はボールだらけです(笑)。

準決勝の前日は一睡もしなかった


 問題は準決勝。県立岐阜商業、強いんですよ。(優勝した)中京大中京が一つだけ負けたチームです。

みんなが「10点以内に抑えられれば恥をかかない」などと言うんです。

ピッチャーは伊藤しかいないし…などと考えると、寝られないんですよ。テレビでベルリンの世界陸上やっていて、一睡もしないで朝まで見ちゃった。

朝食食べて部屋へ戻ったら気持ちが悪くて、全部戻しちゃった。

その日(8月23日)は特別暑い日で、3塁側は日差しがまともに来る。歳のことを考えてベンチの後ろに下がろうかと思ったけどね。子供が炎天下でやっているのでやせ我慢して…。ゲーム中は忘れちゃうもんですね。

(試合は)伊藤が一世一代のピッチングをしたわけです(2-1で勝利)。

伊藤投手の秘密兵器


 一昨年、北信越大会で優勝すると、11月(15日)に明治神宮大会があるんです。

そこで伊藤が北海道のチーム(鵡川)にメッタ打ちされたんです(11-6で敗戦)。それで「クビだ」と言ったら半泣きしていました。本心ではないんですよ。今の気持ちじゃ次の夏の大会はないと思いました。

翌日、伊藤は「もう一度チャンスをください」と。

「何が必要か言ってみろ」と言ったら、「コントロールを付ける」「ポカが多い」「変化球を覚える」の3点を挙げたんです。そして「やる自信あります。シーズンオフで覚えます」と言う。

それで(日本文理高から)早稲田大へ行った刈羽村出身の海津勇太を呼んで、伊藤に付きっきりでチェンジアップを覚えさせたんです。

伊藤は「チェンジアップは夏の県大会では投げない」と自信を持っていました。自分の一番の武器を投げないんだからね(甲子園のマウンドで伊藤はこのチェンジアップを初めて投げ、ピンチを何回も切り抜けている)。

ピッチャーの食欲を観察


 私は食事のときピッチャーをいつも見ています。

私の場合は準決勝から飯が食べられなかった(大井監督は昭和34年、宇都宮工業のエースとして甲子園で準優勝)。当時、最高のご馳走のすき焼きが食べられないんですから。ブドウ糖を注射して投げたことを覚えています。

伊藤は準決勝まではものすごく食べているんです。

バイキングなんですが、伊藤は決勝の日(8月24日)、うどんを食べてました。「まいったな」と思ったけど、伊藤しかいないし。

それで「お前たち、ちょっと集まれ」と。

「約束できるか。今までお前ら本当に良くやっている。力以上に戦っている。勝っても負けても笑って新潟に帰ろうじゃないか」と。

伊藤は「自分は腕がどうなってもかまわないから、最後まで投げさせてください」と。それで甲子園に乗り込んだんです。

甲子園決勝戦、9回表2死からの猛攻


 (中京大中京との決勝戦が行われた8月24日は)伊藤の投球を見て、「5回までに5、6点とられるな」と思っていたら、2-2でいった。6回にエラーが出たが、一塁の武石は、外野から急遽ファーストにしたので、慣れていないんですよ。

(8回まで10-4でリードされた)9回。「このまま終わるんじゃしゃくだね。1、2点返そうじゃないか」と言ったんだけど、たちまち2アウト。

ところが切手孝太が四球で出てからベンチの雰囲気が変わったんです。

それから、(4番の吉田雅俊の)ファールフライで終わりかな、と思った。だが、中京の選手は(落下点の)5、6メートル先へ行ってしまい落球。普段の試合なら取れるが、気持ちより足が先走ってしまうんです。それで助かった。

伊藤の番になって、伊藤コールが起きました。ベンチで聞いていて鳥肌が立ったんです。伊藤は「自分の名前を呼ばれたのでびっくりして、これは打たなくちゃいけないと思った」と言ってました。

決勝戦の中継で大阪朝日放送のゲストが、横浜高校野球部の渡辺元智監督。「今までの甲子園で個人の名前を連呼したのは初めて。松坂コールだってなかったし、史上初めてではないか」と言ったそうです。

最後(ゲームセット)は若林尚希のいい当たりで「監督、残念でしたね」と言われました。力のある子だったら残念と言うけど、監督としてあれ以上はありません。体が違うんですよ。(中京大中京とは)大学生と戦っているようなもの。余計にうちの子供らがいとおしくなりました。

9回の攻撃は、県民のみなさんの声援が乗り移ったんですね。100試合やって1試合出来るかどうかの試合です。子供たちに本当に感謝ですね。

打てない時は打てない理由がある


 一つの大きな転換期がありました。6月に仙台育英(仙台市)と生光学園(徳島市)と3校で試合をやりました。2試合で26点とられて、3点しか取れなかった。

私は胸の中が煮えたぎるようで、遠征から帰ってきて「よし練習やるぞ」と、2時間走らせました。

子供たちは「あの時のランニングが一番きつかった」と言ってました。

私は暴力はふるいませんが、子供たちは殴られたほうが楽なんです。走らされるのは本当に辛いんです。

走り終わって「お前ら、何が足りないか言ってみろ」と。答えは監督が先に言っちゃだめなんだ。子供は考えていないんです。

打てるときは理由がある。打てないときには打てない理由がある。それを分からせないと。

石塚雅俊(決勝戦で9回表の代打でタイムリー)は、出す予定はなかったんです。2年生を用意していたら、3年生が来て「石塚を使ってください」。「今まで打ったことないだろう」と言うと、「今度打ちますから」と言う。

あの子、カーブ打てないんです。でもビデオ見たら初球のカーブを打っているんです。「初球、どんな球でも打ってやろう」と待っていたと言ってました。

普通のゲームなら初球のカーブは見逃しますよ。打てないんだから。

打つときは打つ理由があるんです。

ネット裏から全体を見る


 練習のゲームでは私はベンチに入りません。監督は子供の能力を見ていればいいのです。サインも出さない。

ランナーが出たとき「うちの監督なら、おそらく盗塁のサインを出すだろう」などと選手が思う、心の準備を見たいんです。一人ひとりが考えれば、強くなりますよ。

ネット裏から見ると全体が良く分かります。だが、ベンチから見ると野球が違って見えます。それを知らない人が監督をやると失敗するんです。

センターフライが上がったとき、監督は打球を追いません。レフトはどこへカバーに行くか、内野手はどうかなど、ナインの動きを観るのが監督なんです。

野球の目標は人間形成


 うち(日本文理高校野球部)へ来て、甲子園に行けるというのは違う。甲子園はお前たちが俺を連れて行ってくれるんだと。

甲子園はあくまで目標。目的は人間形成です。

野球を通して仲間と連帯感を持つとか、挨拶、礼儀作法を覚えるとか。

「自分たちが野球をやれるのは誰のおかげなのか」と言うんです。「お金は誰が出している、親だろう。感謝の気持ちで野球やらなくちゃうまくならない」と。

グローブを磨きもしないで、試合のときエラーをしないようにといっても、神様はそっぽ向く。マリナーズのイチロー選手は、あれだけの大選手でありながら、グローブやスパイクを用具係にさせないで自分で磨いている。

選手の食事が課題


 家から通っている子供の中に、親が仕事で忙しいからと、朝にお湯をわかしてカップラーメン食べているのがいるんです。

(練習を終わって)家に帰る前にも腹が減っているので買い食いしているんです。

だから、寮に入っているのと通いの子供で体力差が出てくるんです。これは指導者の課題。

カッコつけたがるのは許さない


 衣服とかにお金をかけるのは許しません。カッコつけたがるのがいるんですよ。私は許しません。

女の子にもてたいなら、野球をやめればいい。好きな野球をやりたかったら、犠牲にしなくっちゃ。

子供は一つのミスを認めるとだめ。悪いことは悪いと、その場で言わなくちゃだめです。

新潟の子はもっと積極的に


 新潟の子は奥ゆかしいですよね。引っ込み思案です。

「さあ、出てやってみろ」と言っても誰も出てこない。大阪なら、みんな出る。

うちにも3人ぐらい大阪の子がいるけど、掃除するにも私の目の届くところ、集合も一番前。「ピンチヒッター!」と言うと、真っ先に手を挙げる。

切手孝太は自己紹介のとき「東京の新宿から来た田舎もんです」と言う。常に私のことを意識していて、いい当たりをすると監督が見ていないか探すんです。

新潟の子は、もっと積極的でもいい。

「為せば成る」を部訓にしたのも、みんな最初からあきらめてしまうからです。野球はやってみないと分からないのです。

(米国の)ケネディ大統領が日本人記者に「尊敬する人は誰ですか」と問われ、「上杉鷹山です」と言いました。その上杉鷹山公(江戸時代の米沢藩主)の「為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは、人の為さぬなりけり」を部訓にしたのです。