高田藩の飛び地 福島・白河市から徒歩で350km 戊辰戦争150年の伝書届く

1868年(慶応4)の戊辰戦争から150年が経過したことにあわせ、越後高田藩の飛び地があった福島県白河市で7月に開かれる新政府軍(西軍)と旧幕府軍(東軍)の合同慰霊祭への参加を呼びかけるキャラバン隊が新潟県上越市を訪れた。一行は白河から上越までの約350キロを8日間かけて歩き、2018年5月6日に上越入り。7日に高田公園の高田城三重櫓で慰霊祭案内の伝書を市や上越青年会議所の関係者などに手渡した。

白河市からのキャラバン隊の一行と上越市の関係者
白河市一行高田へ②

高田藩の飛び地

白河市東釜子周辺は、江戸時代中期から明治維新まで高田藩の飛び地で、藩の役所である「釜子陣屋」が置かれていた。上越市史などによると、戊辰戦争で高田藩は新政府軍に付いたが、同陣屋は幕末の動乱で高田藩との連絡が途絶えていた。このため奥羽越列藩同盟の勢力圏に位置していたことから、藩士たちは旧幕府軍に身を投じる結果となった。

交通の要所であった白河は、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍を中心とする旧幕府軍の約100日間に及ぶ白河戦争の激戦地となり、両軍あわせて1000人以上の死傷者が出たとされる。白河の領民は両軍の犠牲者を弔い、現在でも手厚い供養を続けているという。市内の寺にも同陣屋の高田藩士27人の墓がある。

高田藩士の旅行記に沿い徒歩で

7月14日に行われる合同慰霊祭は、白河戊辰150周年記念事業として白河市や実行委員会の主催で執り行われる。キャラバン隊は全国17市を訪問しているが、今回は実行委員会と地元の商工会が主催し「釜子上越旅日記」として唯一徒歩で実施した。4月30日に釜子陣屋跡を出発し、江戸時代後期に高田から釜子陣屋まで歩いた高田藩士の旅行記「釜子道中記」に沿い、会津若松、新発田、柏崎など通過。歩く距離は1日あたり40〜60キロで、1日ごとに参加者を募り参加者は延べ50人にのぼった。

「高田から文化伝わった歴史感じた」

一行は7日、記念事業のテーマの「仁」の文字が入ったえんじ色の陣羽織姿で高田城三重櫓に訪れた。道中記に則って白河から竹筒に入れて運んだ、鈴木和夫白河市長から村山秀幸上越市長への伝書を上越市の影山直志自治・市民環境部長に手渡した。

白河市の藤田光德市長公室長から上越市の影山自治・市民環境部長に伝書が手渡された
白河市一行上越へ④

実行委員会の人見光太郎会長は「合同慰霊祭ができるのは東西分け隔てなくすべての戦死者を弔った白河だからできること」と参加を呼び掛けた。

ただ一人全行程を歩いた白河青年会議所の有賀一裕理事長(36)は「山越えはきつかった。昔の人は大変だったと思う。高田から文化が伝わった歴史を感じた」。企画した製菓業、我妻祐輔さん(28)が作る白河銘菓「おきな餅」は高田の「翁飴」が起源。「同胞であった皆さんに鎮魂の誠を捧げてほしい」と話した。