「枡形門」など高田城復元し観光の目玉に 市民団体が中川上越市長に要望

新潟県上越市にあった高田城の復元を目指す市民団体「高田城復元ネットワーク」(吉田昌和会長)は2022年1月28日、中川幹太市長に「枡形門(ますがたもん)」など高田城の復元を求める要望書を提出した。同団体で制作した復元模型で築城当時の様子を説明し、「全国にピーアールできる観光の目玉になる」と訴えた。

中川市長に要望書を提出する吉田会長
城ネット要望表紙

同団体は城を復元して観光などに役立てようと2017年に市民有志で結成し、会員は約50人。シンポジウムの開催や現地見学会、三重櫓や枡形門などの復元模型を制作するなどして、復元運動を展開している。同団体による市長への要望書提出は初めて。

高田城は1614年(慶長19年)に徳川家康の六男、松平忠輝の居城として、幕府の命による天下普請で築城された。1993年には三重櫓が、2014年には内堀に架かる極楽橋がそれぞれ復元されている。

要望には吉田会長(67)ら会員や郷土史家の植木宏さん(89)など12人が市役所を訪問。イベントに頼らない「通年観光」を掲げる中川市長の政策を支持し、「高田城の復元こそ上越市の観光拠点になる」とした要望書を中川市長に手渡した。

吉田会長は「(復元は)市長が考える通年観光と合致する。高田は城がなくては語ることができない。少しでも前向きに検討してほしい」と要望した。

高田城の復元模型を使って中川市長(右)に解説する植木さん(右から2人目)
DSC_7592

三重櫓や極楽橋、その先の蹴出門や本城御門などからなる枡形門、本丸御殿の一部の表向御殿の復元模型を使って解説した植木さんは「高田城は歴史的にも重い上、城造りの基本的な景観が残り、全国に通用する大事な城と確信している。次は何としても本丸の枡形門。市民の熱い思いを行政に反映してほしい」と訴えた。市長時代に極楽橋復元に着手した宮越馨市議も同席し、「復元に向け、具体的に一歩でも半歩でも足跡を記すような予算を編成してほしい」と重ねて要望した。

中川市長は「高田城の歴史的なものは重く受け止めている。いろいろな整備もあり、十分に検討しながら進めていきたい。少し研究が必要で時間がかかると考えており、出来る範囲でやっていきたい」と答えた。

関連記事