新天皇即位による改元を前に2019年4月1日、新元号が発表される。発表が近づき新元号への関心が高まるが、上越市には明治以降の元号を名前に冠する地名が過去にあったものも含め6か所ある。過去にあった「明治村」、現在あるのは「昭和町1丁目」「昭和町2丁目」「上昭和町」「清里区平成」「平成町」だ。これらの村や町の名称はどのような経緯で付けられたのだろうか。また改元後、市内に新元号を冠する地名が誕生する可能性はあるのだろうか。
頸城区の「明治村」
現在の頸城区にはかつて明治村があった。明治22年(1889年)、市町村制の施行に伴い、江戸時代から続く小集落規模の73の村を4村に集約・合併し、明治村のほか、北大瀁、南川、頸城の各村が誕生した。頸城村史には「明治」という新村名の選定理由として、「新制施行の盛事を不朽に伝えるため」と記されている。現在は住所としてはないが地区名として残っており、市立明治小学校、越後明治郵便局、市立明治保育園などがある。
宅地造成で飯の一部が「昭和町」に
昭和40年代に始まった飯の宅地造成で田んぼが住宅地(飯団地)に変わった。飯という住所の中に、もともと飯だった本村、造成で新たに住宅地となった北部、中部、南部の自治区ができた。このうち昭和48年(1973年)に本村以外の3つの自治区が飯から分離してそれぞれ新しい自治会を設立した。市は住居表示にあたり、北部で一つの町名、中部と南部を合わせてもう一つの町名とするよう指導した。両地区で、それぞれ住民を対象にアンケートを実施した結果、いずれも最も多かったのは「昭和町」だったため、新町名として市に申請した。昭和49年(1974年)10月1日、住居表示が行われ、それぞれ「昭和町1丁目」と「昭和町2丁目」になった。
住民アンケートは「昭和」が圧倒的
初代中部自治会長、その後昭和町1丁目町内会長も務めた故岩佐勝作氏が記した「昭和町1丁目回顧録」によると、中部と南部自治会のアンケートの結果、最も多かったのは「昭和町」で、次いで「若葉町」「青葉町」「高城町」「末広町」「和泉町」の順だった。
北部自治会も同様だった。「新町名選考委員会」を設置し、世帯ごとにアンケートを実施した。大多数が「昭和町」で、次いで「相生町」「平和町」などが挙がった。上位5候補を再度全戸に示し、1つを選んで投票してもらった結果、「昭和町」が圧倒的だった。
改元から半世紀後になぜ昭和?
昭和町が誕生したのはの昭和40年代後半。改元から約半世紀後に昭和が住民の圧倒的な支持を受けたのはなぜだろう。
「昭和町2丁目30年のあゆみ」によると、昭和という元号はもちろんだが、宅地開発を行った不動産会社が「昭和商事」だったことも理由として挙げられている。「宅地の決定や購入で忘れられない思いがあることなどが委員会で話し合われた」などと記しており、詳細は不明だが、会社名も影響したということだ。
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「上」昭和町も誕生
飯、滝寺、大貫、塚田新田の4つの住所(大字)が介在する畑や荒野が宅地に造成され、昭和47年(1972年)から入居がはじまった。当時は「飯西部団地・滝寺団地」と呼ばれ、住所は飯だった。昭和53年(1978年)に滝寺と飯から分離して上昭和町町内会が発足し、翌年の昭和54年(1979年)11月1日には「上昭和町」の住居表示が実施された。
「上昭和町創立30周年記念誌」と当時の町内会役員などによると、新町名は、飯西部団地と滝寺団地合同の準備委員6人で検討し、さまざまな案が出たが「上昭和町」に決定した。すでに昭和町1と昭和町2の2つの町があり、地域内では町名に「上」と付けることが議論を呼んだが、準備委員が説得を重ね、最終的には地域全体の合意を得られたという。
清里の「平成」は公募で
人口流出の防止と新たな定住人口の確保を目的に、昭和63年(1988年)から始まった旧清里村初の団地造成「岡嶺開発事業」で、村内の岡嶺台地の杉林や雑木林が宅地となった。「清里村50周年記念誌・集落誌」によると、新町名は公募で50余りの案が寄せられたという。平成3年(1991年)、寄せられた中から集落名が「平成」に決まった。
「元号にあわせて『平成町』に」
平成元年から5年(1989~93年)にかけて、戸野目、長面、西市野口、下池部の4つの町内にまたがる田んぼで戸野目土地区画整理組合による土地区画整理事業が行われ、宅地となった。
組合理事を務めた平成町の小林昭一さん(82)によると、いくつかの案はあったが妙案はなかった。すると、理事長の故小川義男県議から「組合設立の平成元年にちなみ、元号にあわせ『平成町』にしたらどうか」との提案があり、役員が賛同して決定したという。平成5年(1993年)9月10日に換地処分が実施され「平成町」となった。
新町名が付けられるのは?
新しい町名が付けられるケースとしては、住居表示と、土地区画整理事業による字の変更の2種類がある。
住居表示は、土地の地番が順序よく並んでいなかったり、字や町の境界が入り組み複雑になったりしている市街地の住所を分かりやすくするために市町村が行う。市によると、新町名は基本的に住民の意思を尊重するが、地域全体や市全体のバランスも考慮して協議するとしている。
一方、道路や公園などの公共施設と宅地を一体的に整備する土地区画整理事業で字の変更を伴う場合は、市は歴史的、文化的に由緒ある名称とすることや、既存の町名と紛らわしい名称は避けることなどを、事業を行う区画整理組合に伝えている。新町名決定の手続きは、組合が住民の意見を確認するためのアンケート実施後、役員会などで町名を選定する。その後、市との協議を経て市議会が字の変更について議決し、県知事に届け出る。
字の変更はしないが、転入してきた住民で新しい町内会を設立する場合は、町内会としての名称を付けることができる。
上中田と土橋に新町名の可能性?
現在上越市内では、2か所で組合施行の土地区画整理事業が行われている。上中田、灰塚、中田原にまたがる約16万3000平方mの田んぼでは、平成23年(2011年)から上中田北部土地区画整理事業が行われている。換地処分、事業完了は19年度の予定だが、土地利用計画に住宅地はなく商業・業務用地のみ。宮越昇組合理事長は「住宅地でもないので町の名前を新しく付ける予定はない」と話す。
一方、土橋では平成28年(2016年)から、約15万4200平方mの土橋第2土地区画整理事業が行われている。土地利用計画では商業・業務用地のほかに、約200戸の住宅地を造成し、最短で2020年の分譲開始を目指している。新たな住民の転入による新しい町が誕生予定だが、増田禎昌組合理事長は「私達地権者は土橋。住宅地ができれば大所帯となるが、今まで通り土橋でやっていきたい」と話している。
将来の誕生に期待
上越市市民課によると、今のところ住居表示の実施を予定している地域もないという。しかし、市内には「昭和」「平成」と付く町があるだけに、将来、新元号を冠する「◯◯町」が誕生することに期待したい。新元号の発表は間もなくだ。