独特の力強い造形から「狂気」「異端」などと称された新潟県上越市出身の建築家、渡邊洋治(1923〜1983)が設計した、同市春日地区にある「斜めの家」(1976年完成)の保存と活用に向けたクラウドファンディングが2023年6月14日から始まる。斜めの家は60歳で急逝した渡邊の最後の作品で、2000年まで人知れず古里に立っていた名建築。渡邊の生誕100周年に当たる今年、関係者は泊まれる名建築として保存・活用しようと取り組んでいる。
大工の家に生まれ、ル・コルビュジエの弟子に師事
渡邊洋治は旧直江津市の大工の家に生まれ、祖父は直江津駅前の旧いかや旅館の八角塔を建てた棟梁だった。高田商工学校(現・県立上越総合技術高校)を卒業後、日本ステンレス直江津工場に就職し、太平洋戦争中は船舶兵として入営した。戦後に上京し、1947年に久米建築事務所(現・久米設計)に入り、1955年に早稲田大助教授の吉阪隆正の研究室助手となった。恩師の吉阪はモダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887〜1965)の弟子で、渡邊はいわばル・コルビュジエの孫弟子にあたる。1958年に独立して渡辺建築事務所を開き、その後1959〜1973年には早稲田大の講師も務めた。
代表作は「軍艦ビル」と呼ばれた第3スカイビル(東京都新宿区)や「龍のとりで」こと医院兼住宅(静岡県伊東市)、善導寺(糸魚川市)などがある。「航空母艦」と呼ばれ、1997年に改築のため取り壊された旧新潟労災病院(上越市)も渡邊の設計だった。
斜めの正体はスロープ
斜めの家は、渡邊の妹夫婦の自宅として建てられた。全体が“斜め”に建っているように見え、奇抜で重厚なその姿は、静かな住宅地で異彩を放つ。斜めの正体は家の北側に設置されたスロープだ。木造2階建てだが階段はなく、折り返しのあるスロープで家の中を行き来する。赤いじゅうたん敷きのスロープを歩いているうちに2階にたどり着いてしまうのだ。
季節や時間による光の変化を体感
スロープの両側の壁には、大きさの異なるくり抜かれた四角い小窓が不規則に配置されている。家の南側にある部屋はどれも大きな窓があり、差し込む日光が赤いじゅうたんに反射して、部屋の中やスロープの壁を赤く染めるなど、季節や時間による光の変化を体感できる造りだ。ほかにも窓には雨戸、ガラス戸、すだれをはめ込んだ簾(す)戸、障子戸があるほか、使いやすさを考えた造作が随所に見られる。残念ながら、10年以上空き家のままだ。
雪(水)に浮き沈みする潜水艦?
渡邊の古里、上越市に唯一残る建物を後世に残そうとクラウドファンディングに挑戦するのは、地元有志によって2013年に設立された「斜めの家再生プロジェクト」。所有者である県外在住の渡邊の親族に了承を得て、鍵の管理なども行っている。中心となって活動している同市柿崎区上下浜の建築家、中野一敏さん(48)によると、斜めの家について渡邊は「潜水艦を造るぞ」という言葉を残しているという。
「高校時代に高田に通い、雪に埋もれた雁木通りを目にしていたはず。冬は雪(水)に沈み、春になって雪が解けて浮上するイメージを斜めの家に持たせたのではないか。建築家は、住んでいたからこそ、自然に染み付いた原風景が作品に表れることがある」と中野さん。
また渡邊は、斜めの家の設計時にル・コルビュジエの後期の作であるインド・チャンディーガルの行政庁舎(1958年完成)を見学しており、行政庁舎のスロープ棟と斜めの家のスロープなど共通点も多い。中野さんは「上越の風土と世界的建築が渡邊洋治という建築家の中でうまく融合したのが斜めの家。この建物を深く理解することで、上越の建築文化の方向性が見えてくるのでは」と話している。
泊まれる名建築目指しクラウドファンディング
斜めの家は住宅地にあり、管理や駐車場などの問題で大人数の見学会の開催は難しい。このため、名建築を体感してもらうのと同時に保存のための維持管理や修繕費用を賄うため、宿泊体験ができるようにするのが今回のクラウドファンディングの目的だ。
期間は6月14日〜7月31日。目標額は200万円で水回りなどの改修工事費用に充て、民泊申請する計画。リターンはZoomによるオンライン見学会や1棟貸切宿泊体験の予約、非売品の渡邊洋治作品集などを予定している。
生誕100周年記念講演会と原図展も
6月10日午後3時30分〜同7時には生誕100周年記念の講演会と原図展が、同市中央1の直江津学びの交流館で開かれる。事前申し込み制の講演会は定員に達したが、原図展は事前申し込みがなくても観覧可能。問い合わせはナナメの会(naname023@gmail.com)まで。
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