約10年前まで、新潟県新井市(現妙高市)の大毛無山の山麓で営業していた複合リゾート施設「ARAIマウンテン&スパ」を覚えているだろうか。バブル景気が終焉を迎えて間もない1993年12月にスキー場としてオープン。その後、ホテルを増設し、地ビールやレストラン、エステティック施設を次々に建設するなど、上越地域にはないバブリーなリゾート施設を作り上げた。2006年に運営会社が経営破綻して営業を停止していたが、廃墟寸前だった建物と土地を、このほど東京都の会社が18億円で落札し、再びスキー場としての営業が期待されている。今後の期待を込め、夢のように豪華だった複合リゾート施設を振り返ってみたい。
スキー場は、1987年8月に東京クラブ(のちに新井リゾート)が開発に着手し、旧新井市も出資する第三セクターの運営で93年にオープンした。新井リゾートはソニーの故盛田昭夫氏の長男、盛田英夫(英粮)氏が社長。その親会社「レイケイ」(森田英夫社長)は、ソニー創業家の資産管理会社で、その莫大な財産をふんだんに使い、当初だけで500億円以上を新井リゾートにつぎ込んだ。その後も次々にホテルなどを建設したことから、投資総額は800億円以上とも言われる。それだけに、施設の豪華さは比類のないものだった。
|施設名の変遷
当初は「ARAIマウンテン&スキーリゾート」だったが、総合リゾートとして拡充するなかで、1996年に「ARAIマウンテン&スノーパーク」に、2002年に「ARAIマウンテン&スパ」に変更した。
豪華なホテル
当初のホテルは、エグゼクティブ用の「ザ・クラブ」(32室)だけだったが、2001年に長期滞在型の「ザ・ロッジ」(62室)、2002年にはファミリーやグループ向けの「イン・アット・アライ」(148室)がオープンし、タイプの異なる3つのホテルがそろった。最大約650人が宿泊できた。これだけ大規模な宿泊施設は上越地域にはない。
豪華なスパ
2002年2月に、リラクゼーション施設「エステティック・スパ・マナ」をオープンした。プールやスパ、セラピールームなどを備え、数千円から利用できるトライアルコースから、VIPルームを使った1日7万円のコースまで用意した。イスラエルの死海の塩を使用し浮遊体験ができる「死海プール」が話題を呼んだ。
「アクアパーク プール&ゆ」(当初の名称はスパ&プール)
室内プールと屋外プールがあり、夏はガーデンプールも楽しめた。温浴施設には、5種類の室内風呂、露天風呂、打たせ湯、ジャグジー、サウナなどの施設があった。
子供用の施設
子供用の室内遊具施設「キッズプレイグラウンド」が2001年12月にオープン。ロッククライミング、ツリーハウス、吊り橋などの遊具があり、キッズレストランも備えた。
レストランプロムナード
和食、中華料理、洋食、カフェ、ラーメン店、サンドイッチ店、ケーキ店など、多彩な店をそろえた。
新井ビール
1996年12月に県内3番目の地ビールの製造を始めた。施設内のレストランやバーで楽しめた。テイクアウト販売も行った。1997年には地ビールガーデンを設けた。北陸地方初のベルギータイプで、「ダーク」「ブロンド」のほか、発泡酒「ゴールド」があった。
豪華なカウントダウンイベント
年末から元日にかけて、豪華なカウントダウンイベントを実施した。音とレーザー光線をシンクロさせ、長岡の花火「フェニックス」のように連続して花火を打ち上げる豪華なイベント。2000年から2006年まで2回の中止を挟んで行われた。ミレニアムを迎えた2001年には松崎しげると森山良子が出演、2004年には歌まねの岩本恭生が出演した。
レジェンド・スキー
アルペンスキーに輝かしい軌跡を残す伝説のメダリストを招いたイベント「レジェンド・スキー・レース」は、1997年から2003年まで計6回開催した。アルベルト・トンバ、トニー・ザイラー、ジャン・クロード・キリーなど有名スキーヤーを大勢招き、オールドファンの人気を集めた。2002年にアメリカ同時多発テロの影響で1年休み、翌2003年に復活したのが最後だった。