たしかに尋常ではない長大ひげ。銅像で見ると、顔の幅の3倍以上はありそうだ。自然のまま横に伸ばすことは無理で、今日のひげ用ワックスなどのスタイリング剤が必要だ。さっそく調べてみた。
長岡外史は第13師団長
長岡外史(1858-1933)は山口県下松市出身の陸軍軍人。レルヒ少佐が上越市高田に伝えたスキーを軍隊に初めて取り入れた旧軍第13師団長。退役後は衆議院議員を務めたほか、帝国飛行協会理事として日本の航空界に尽力した。高田公園の桜の育成にも努めた。
上越市と山口県下松市にひげの銅像
一方で、横に伸びた長いひげは「プロペラ髭」と呼ばれ、トレードマークだった。上越市のほか、出身地の山口県下松市にも長岡外史の銅像があり、異様なほど長いひげが目立つ。その長さは世界的に知られ、ドイツの安全カミソリの商標にもなった。
「坂の上の雲」にも登場
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』にも登場し、「長岡は “世界一” と自称する長大な八字ひげをはやしている妙な人物で、その点ではいかにもいかがわしいハッタリ屋を想像させた」と書かれている。NHKのテレビドラマでは、的場浩司が長い付けひげで演じた。
ひげは八丈島の椿油で手入れ
高田の第13師団長として在任中の1910年(明治43年)から2年7か月間のひげは、それほど長くなく、“世界一”と称したのは晩年のようだ。 『長岡外史関係文書 回顧録篇』(1989年)によると、1899年(明治32年)にドイツに軍事視察に行った時、カイゼルひげが天下を風靡していたので、あごひげを剃ってカイゼルひげとしたという。1914年(大正3年)までは大して長くなかったのだが、大正天皇御大典の折、八丈島市庁長が「あなたの髭を世界一にしたい」と言って、特産の椿油を進呈した。それを使用したら、ひげが切れず、ずんずん伸びたという。つまり、長岡外史のひげは椿油で整髪をしていたのである。
長さ65cm、世界一のひげ
いったい、どのくらいの長さがあったのだろう。同回顧録によると、1929年(昭和4年)に渋沢栄一、馬越恭平らが証人となってひげの長さを図ったら「二尺一寸二分(約64cm)」あり、当時世界一と言われたドイツ人を抜いて世界一になった。その後、ひげはさらに伸び「二尺一寸五分(約65cm)」に達したという。
調査してほしいこと募集中!
上越タウンジャーナルの《TJ調査隊》では、皆さんが疑問に思っていること、調査してほしいことなどを募集しています。ただし、上越地域に関することに限ります。また、取材するかどうかは調査隊の記者が判断します。
名前は匿名やペンネームでも結構です。メール投稿フォームやFacebookページへお寄せください。