故森光子さんの「放浪記」ゆかりの地、直江津

公演2000回を超えた舞台「放浪記」に主演した女優の森光子さんが2012年11月10日、92歳で死去した。新潟県上越市のJR直江津駅前には2011年11月23日、全国で唯一、森さんの自筆による舞台「放浪記」の記念碑が建立されており、関係者は「一度、直江津に来ていただきたかった」と死去を惜しんでいる。

直江津学びの交流館で2011年11月に開かれた「放浪記」の特別パネル展より
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記念碑は原作者の林芙美子が宿泊し、小説にも登場したいかや旅館(現ホテルセンチュリーイカヤ)の前に建つ。地元住民らによる「森光子『放浪記』記念碑を建てる会」(田中弘邦会長)が設置した。森さんから送られてきた直筆の色紙を元に、林芙美子が好んだ「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」が刻まれている。碑は高さ70cm、幅90cmで、同市出身の彫刻家、岡本銕二さんが制作。上部に森さんと林芙美子をイメージしたブロンズ像が付いている。

JR直江津駅前にある森光子さん直筆の記念碑
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除幕式では森さんからファクスで寄せられた「言葉では言い尽くせないほどの喜び」などのメッセージが読み上げられた(最後に全文掲載)。

2011年3月22日の「放浪記」石碑の除幕式
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森さんから色紙が送られてきたきっかけは、同年3月22日に「三八朝市周辺まちづくり協議会」が同市中央2の荒川橋西詰めに、林芙美子の「放浪記」の石碑を設置したことから。名前と放浪記の題字は林芙美子の直筆で刻まれており、主人公が直江津へ旅立とうという思いを描いている。高さ1.3m、横1.5mで重さは約1tの御影石製。

同協議会の勝島寅一郎会長は、「(森さんに)放浪記ゆかりの地、直江津に一度でいいから来てほしかった。今後は直江津駅前から荒川橋までを『放浪記ロード』として、直江津地区の活性化を図っていきたい」と話す。

放浪記ロードには、ほかに、小説の中で主人公が食べて死を思いとどまる「継続団子」を製造・販売する「三野屋」(中央1)がある。



 ◆森光子さんが除幕式に寄せたメッセージ◆

上越市の皆様、ごきげんよろしゅうございます。森光子でございます。

3月に東日本を襲った思いがけない大震災以来、「ガンバロー日本!」の声と共に、全国の人々が心を一つにした2011年も、あと1と月余りで暮れようとしております。勇気と元気で強い日本を、いつも心にがんばってまいりましょう。

私事でございますが、今年は舞台の「放浪記」も初演の昭和36年から数えて50年を迎えることになりました。“花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき”の詩のことばを心の糧といたしまして、「人が生きるということ。人の幸せとは」の表現を求めて舞台に立ち続けました。そして、半世紀にわたって一期一会のお客様に観ていただくことができました。

その節目の年に、私のライフワークとなりました舞台「放浪記」の記念碑を、林芙美子先生ゆかりの「文学のあるまち直江津」に建立していただけますことは、面映ゆいことではございますがまた一方、言葉では言い尽くせないほどの喜びでございます。

直江津の町をはじめとして上越市の皆様、ご関係の皆様のご厚情、ご尽力に感謝いたしますとともに、心からなるお礼を申し上げます。

2011年11月23日
森光子

森さんからファクスで送られてきたメッセージ
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「放浪記」ゆかりの地

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