430年前の生々しい機密文書 上越市に寄贈

上杉景勝が御館の乱当時に家臣に送った書状が、このほど福井県の財団法人から新潟県上越市に寄贈された。御館の乱で跡目を争った上杉景虎が自害する数日前に書かれたもので、当時の様子や家臣への指示のほか、親しい家臣にしか使わない花押(サイン)がある。2011年8月10日から28日まで市埋蔵文化財センターで公開される。

このほど上越市に寄贈された書状
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書状は元々、福井県越前市の財団法人、宇野茶道美術館が所蔵。2003年に上越市史編さん事業で市が調査したこともある。同館が閉館することになり、7月19日付で景勝ゆかりの上越市に寄贈された。

書状は景勝直臣の上田衆の一人で坂戸城(現在の南魚沼市)を守る浅間修理亮にあてたもの。1579年(天正7)3月19日付となっている。内容は御館を攻め落とし景虎が逃げ込んだ鮫ヶ尾城も落城が近いことや、景虎の実家、北条氏の攻撃に備えた守備の指示など。記された花押は公式なものではなく、親しい家臣のみに使われたものという。この花押を記した文書は現存するものが少なく、市の担当者は「資料的な価値は高い」としている。

この手紙が送られて間もない3月24日には景虎が自刃している。

書状は市埋蔵文化財センターで開催中の「越後上越 謙信公と春日山城展」で2011年8月10日から28日まで展示される。

現代語訳

届いた手紙は詳しく読んで心得た。こちらは何事もないので安心するように。一昨日十七日に御館が落城し、敵をみな打ち取った。景虎の逃げ込んだ鮫ヶ尾城は孤立無援の状態だ。城主の堀江宗親へ、さまざまに計略をめぐらしているので、鮫ヶ尾城落城も間もなくだろう。これも安心せよ。景虎の実家である小田原の北条氏が国境を越えて攻めてくるとのこと。栗林配下の者をはじめ、こちらに来ていた者どもは今日すべて上田に返したので、油断なく敵に備えるように。樺沢城は早々に破却するように申し伝えたので、手落ちのないようにせよ。市川を武田勝頼のもとへ派遣し、須田五郎を赤沢へ配置するということは伝わっているだろうか。彼らが裏切ることはないだろうから、安心してよいぞ。また鉄砲衆については、一人でも手元に置いておきたいところだが、そちらには一人もいないとのことなので、鉄砲衆に火薬を持たせて遣わした。こちらではみんなが必死になって頑張っているので安心しろ。足軽どもに申し付けて、ただ番をするのではなく、そのあいだにも、掃除や普請をさせるようにして、無駄のないように。こちらにいる清水か小森澤が上田へ戻り次第すぐに、お主を呼び寄せるので、それまでは抜かりなく番をするように。詳しくは明日泉澤と上村から連絡がいっているはずだ。また進展があれば、重ねて連絡する。

 三月十九日 景勝(花押)
浅間修理亮殿