昨年のNHK大河ドラマ『天地人』で、豊臣秀吉を好演した俳優の笹野高史さん(62)の講演会が2010年10月7日、上越市頸城区のユートピアくびき希望館で開かれた。2007年公開の映画『武士の一分』で数々の賞に輝き、60歳になって役者としてのピークを迎えるまでの道のりを「待機晩成」のテーマでユーモアたっぷりに語り、立ち見も出るほどの満席となった会場を沸かせた。
紺のスーツに黄色のネクタイ姿で壇上に上がった笹野さんは、翌日にNHKの正月番組の収録があるため、講演終了後に日帰りで東京に戻るという過密スケジュールと、ぎっくり腰を患う中の講演。「来る仕事は拒ばない」という自身の仕事に向きあう真摯な姿勢を、「80歳まで家のローンが残っているから」と笑わせた。
俳優になるきっかけ
まずは俳優になろうと思ったきっかけから語り始めた。
「映画俳優という職業があることを気付かせてくれたのは母親だった」という。
淡路島の造り酒屋で、男ばかり4人兄弟の末っ子として誕生するが、父が結核で亡くなり、看病で結核がうつった母も笹野さんが小学校5年生のときに亡くなる。
「12年ぐらいは母親の夢見て泣きましたね。朝起きると、枕がぐっしょり。だからいまだにマザコンです」
母が映画好きで「ちょっと実家に行ってきます」と言って、小学生だった笹野さんを連れて、しょっちゅう映画を観に行っていた。1950~60年にかけての日本映画の最盛期、大映の看板女優だった山本富士子、若尾文子などが出る恋愛映画だった。
「母親が泣きながら観た映画ってどんなもんだろう」と思い、その後、映画館に通い詰め、かたっぱしから映画を観たという。
11歳になって学校の先生に「お前、将来何になるんだ」と聞かれた。
「映画俳優になりたい、というと近所の人に笑われると思った。私は女の子にキャーと言われるような美男子ではないのは自覚していた。ジャガイモ顔でしたから、きっとバカにされると思って、ひそかに志を抱いていたんです」
雑誌の通信販売で『映画俳優になる方法』という本を買ったが、発声方法などが書いてあるだけで、「何の参考にもなりませんでしたね」と言う。
その本が兄に見つかり、「お前、映画俳優になるつもりか、アホか、ボケ、カス!」「風呂場へ行って鏡を見てみろ、アホ」とバカにされた。
「カチンときましてね。もし私が映画俳優になったらどうしてくれる」と言うと、「淡路島を逆立ちして回ってやるわ」と言う。それで拇印まで押した誓約書を作って宝箱に入れて大事にしていたが、引っ越しで無くしてしまった。その後、兄に確認すると「記憶にございません」と言う。「その兄は、私の初舞台から全部見てくれています」。
渥美清さんとの出会い
次の転機は、渥美清さんとの出会いだった。
「映画俳優になるという志を捨てなかったのは、渥美さんのおかげです。四角い顔でもできるじゃないかと」
同い年の柄本明さんと、芝居やバーに連れていってもらい、ごちそうになった。「渥美さんと遊び友達というのが自慢でした」。
当時の渥美さんは年に2本の映画「男はつらいよ」に出演するだけ。空いている時間は、おもしろいことを蓄えるために、笹野さんの出る舞台などもこまめに見て回っていたという。
「スター千一夜」「徹子の部屋」と並び、俳優のステータスである「男はつらいよ」に出たのは、1985年の『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』が最初。「渥美さんが山田洋次監督に『おもしろい俳優がいる』とおっしゃってくれたことを後に聞きました。そのとき私は泣きましたね」。
ワンシーンだけの出演が多かったが、山田洋次監督の映画には36本に出演した。山田監督の弟子である栗山富夫監督から『釣りバカ日誌』にも誘ってもらった。
転機は『武士の一分』への大抜擢
"ワンシーン役者"だった笹野さんが、大きな転機となったのは映画『武士の一分』(2006年)への大抜擢だった。
主演の三村新之丞(木村拓哉)、妻の加世(檀れい)、その奉公人徳平(笹野高史)の3人が中心の話。「台本をいただいたとき、驚きましたね。間違いじゃないかと思いました。
「山田さんは大ばくちに打って出たなと、緊張しましたね。ふんどしを締めなおして、気合十分にクランクインしました」
ようやくつかんだ大チャンス。「仕事は山のように来るだろうという邪心がちょっとあった」が、それは一日で吹っ飛んだ。
「ワンシーン役者のときは一発OKですよ。物語にはまったく関係ないので、『まあ、いいでしょ』で許されていた」が、初日のワンカット撮影に半日かかった。
「カメラマンにまでしかられて、『今まで俺、何やってたんだ』と情けなくて。撮影は3か月続きまして、つらいですよ。大きなチャンスを逃したと思って撮影が終わりました」。封切までの約1年は、他の仕事も手につかず、ため息ばかりついていた。
「思い余ってカメラマンに電話したら、『良かったよ』『年末にはきっとごほうびがあると思うよ』と」。心配は杞憂に終わり、映画は大ヒットした。
「自分は失敗したと悩んでいたんです。それが思い上がりだった。自分はもっと良くできるはずだと思っていた。『最初からやり直すんだよ』と映画の神様に言われたようで、恥ずかしかった」
「天地人」秀吉役の秘話
最後は、2009年のNHK大河ドラマ『天地人』での豊臣秀吉役について。
「(秀吉の)肖像画を見て、『俺はこの役ができる』と。他の人がその役をやるたびに、『僕みたいにそっくりな人にあてないんだ』と思っていた。
だが、秀吉は関西ではおそろかにできないステータスで、NHKとしてもおろそかに配役にできないという。
それが『武士の一分』で役者としてのレベルが上がり、「とうとう秀吉役をゲット!」となった。
だが、柄本明(功名が辻)、緒形拳(黄金の日日)、竹中直人(秀吉)などが大河ドラマでやってき、これまでの秀吉のイメージと戦う気概が必要になる。
「それで秀吉の肖像画をルーペで見て、『おかしい。どうもこの人はお化粧をしていたんではないか』と思ったんですよ。それをディレクターとプロデューサーに進言したんです。顔を白く塗って、赤い口紅。これが功を奏して、新しい秀吉像が印象付けられた」。
「最初は『信長より年上にしか見えない』と評判が悪かったんですが、映画の仕事で大阪に行ったら『今までの秀吉で一番良かった』と受け入れられて、うれしかった」
「この役は、俳優にとっての勲章だと思いますよ。その縁で、この直江の津で講演をすることになったわけですから」
この講演会は信越化学工業直江津工場が基金をもとに、地域文化振興事業として毎年1回開いているもので、今回が24回目。
笹野高史のツイッターアカウント
http://twitter.com/sasano61