オーストリア・ハンガリー帝国(当時)の軍人、レルヒ少佐が上越市高田で、日本で初めてスキー技術を指導してから100年を迎えた2011年1月12日、市内では少佐の顕彰会や記念式典などが行われた。このうち上越文化会館で行われた式典では、アルペンスキーの皆川賢太郎選手、フリースタイルスキーモーグルの上村愛子選手夫妻によるゲストトークなどが行われた。
上越文化会館で行われた「日本スキー発祥100周年記念式典」には、市民など約1200人が集まった。あいさつなどが終わった後、皆川夫妻は白いスキーウエアで登場した。二人がそろって、公式な場所に出るのは初めてだという。二人は司会者の質問に、にこやかな表情で答えていた。
湯沢町出身の皆川選手は市内の関根学園高に1年間、在籍していた。当時を振り返り金谷山で練習したことなど思い出を語った。また「毎朝ランニングをさぼらないなどの積み重ねが五輪につながった」と話し、今後は「ソチ五輪出場を目標にしながら子供たちのスキー技術向上を目指したい」と意気込んでいた。
上村選手は「スキーが好きで1日も忘れなかった」と語った。また五輪について「目標としてすごく大切なもの」とした。最後は「雪の景色が好きで、自分のペースでスキーの良さを伝えていきたい」と力を込めた。
記念式典では村山秀幸市長や、オーストリア大使のユッタ・シュテファン・バストルさんらがあいさつ。金谷山で採火された「日本スキー発祥の火」が披露され、高田西小の児童や城西中、関根学園高の生徒が「スキーの楽しさと歴史を伝える」などの100周年メッセージを発表した。
この日、金谷山では150人が参加してレルヒ少佐の顕彰会が行われた。レルヒ像に献花後、県のスキー発祥100周年キャラクター「レルヒさん」が、この日の午前に採火された「日本スキー発祥の火」を披露した。会場付近では祝砲が打ち上げられた。
また、泉田裕彦知事やレルヒの会のメンバーらが、レルヒ像前で一本杖スキーを披露した。
一本杖スキーに挑戦する泉田県知事