2011年1月12日は、オーストリア・ハンガリー帝国(当時)の軍人、テオドール・フォン・レルヒ少佐が上越市高田で、1911年(明治44年)に日本で初めてスキー技術を伝えて100年を迎えた記念すべき日だった。上越市はこれを全国に発信しようと、「日本スキー発祥100周年」と銘打って、記念式典や顕彰会を開催した。その模様はテレビや新聞で報道されたが、ほとんどが「スキー発祥」という表現をしていない。そればかりか、見出しや本文に「スキー伝来」と書いている新聞もあった。「発祥」という表現は明らかに間違いだからである。
13日付の全国紙を見ると、読売新聞は上・中越版で、見出しを「スキー伝来100年祝う」とし、本文でも「発祥」という単語を一切使用していない。
朝日新聞の県版は、「日本スキー100周年記念式典が開かれた」と書き、式典の名称から「発祥」を抜いている。本文では「発祥の地」をかっこ書きにしている。12日付のコラム「天声人語」でも取り上げられたが、固有名詞以外に「発祥」は使っていなかった。
日本経済新聞も県版の見出しに「伝来100年」と打っているし、「発祥」の語句は、かっこ書きの中でしか使っていない。
時事通信は、「スキーの日本伝来から100年を迎えた12日……」と書いている。
NHKも「スキー伝来100年を祝う記念式典」「スキー伝来100年の記念の日」と報じるなど、巧妙に言い換えていた。
「オーストリアはアルペンスキーの発祥の地」というのなら分かる。そのスキーとスキー技術が日本に入ってきたのだから、「伝来」というのが正しい。
同様の例をあげるなら、社会科の時間に習った1543年の「種子島への鉄砲伝来」は「日本の鉄砲発祥」ではない。
1949年にフランシスコ・ザビエルが日本でキリスト教を布教したが、これを伝来といわず「日本の発祥」としたら、キリスト教は怒るだろう。
仏教が日本に伝来したのは538年である。これも「仏教発祥」としたら、バチが当たる。
辞書を引けばすぐ分かることだ。
発祥とは「物事が起り出ること」(岩波書店「広辞苑」)、「物事が起こり始まること」(旺文社「国語辞典」)、「ものごとが新しくはじまること」(三省堂「例解 新国語辞典」)とある。
伝わったことを「発祥」というのは、明らかに間違いである。
では、なぜ「日本スキー発祥の地」という誤った言い方が市内で定着してしまったのか。
実は日本にヨーロッパの近代スキーが入ってきたのは、正確にいうと高田が最初ではない。
レルヒ少佐が高田に来る3年前の1908年に、札幌の北大にドイツ語講師としてきたスイス人、ハンス・コラー氏が予科生にスキーを見せ、スキーについて講義した。だが、自分でスキーを滑ったことがなく、学生にはかせて手綱で引っ張ったという。そのほかスキーを輸入した日本人や、外国人が富士山麓でスキー滑降をするなど、いくつかの先例がある。
大正末期に、札幌と高田の間で発祥地論争が起きた。その裁定を下したのは日本スキー連盟で、「たしかに札幌で滑った事実はあるが、正式にスキー術として教え、組織的に全国普及のきっかけを作ったのはレルヒ少佐だ」とし、「日本のスキー発祥地は高田である」とされた。
高田ではハードとソフトの両面が備わっていただけではなく、その後全国に広がっていった実績を加味して、「日本スキー発祥の地」という言い方が始まったようだ。だが、先に書いた「種子島の鉄砲伝来」なども同じ状況であり、このような場合を「発祥」というのは、日本の歴史上に前例がない。
ヨーロッパのスキーを吸収した上で、日本の風土に合った新しいスキーと、新しい滑走技術を生み出したのなら「日本発祥」をうたってもいいと思うが、いまだに実現していない。
日本スキー連盟の裁定を受けて1930年、金谷山に「大日本スキー発祥の地」の石碑が建てられた。これで市民の間に「スキー発祥の地」というのが次第に浸透していくことになる。
さらには、スキーが伝わって80年の節目の1992年4月、金谷山に「日本スキー発祥記念館」がオープンし、もはや誤りを直すことが難しくなってしまった。
だが、今回の100周年の報道を通じ「日本スキー発祥の地」というキャッチフレーズは全国に通用しないことが分かった。上越の地域内ならいいだろうが、観光資源として全国に発信していくにはマイナスとなるはず。世界標準からかけ離れた日本の携帯電話のように「ガラパゴス化」しないことを祈る。
=川村=