♪ハアー、高田名物 スキーと美人よ(アリャサ、サッサ)
寿司は富寿し 味自慢(アリャサ、サッサ)
約100年の歴史をほこる上越市本町6の映画館、高田世界館(旧高田日活)で昨年6月に行われた大清掃で、「富寿しおけさ」というレコード盤が発見された。上越タウンジャーナルの調べで、このレコード盤は、今から約55年前に「富寿し」を経営する宮崎商店(本社・南本町3)が宣伝用に作成したものであることが分かった。
旧高田日活の大清掃は、同館の運営を引き継いだ「街なか映画館再生委員会」(岸田國昭代表)が実施したもので、ボランティア約20人が参加した。作業中、館内からは看板や掲示類、成人映画のポスターや宣伝用のスチール写真などが大量に出てきた。
その一つが「嗚呼(ああ)!!花の応援団」の宣伝用団旗で、上越市内に住む日本大学卒業生らによってこの秋に同大学の校友会に寄贈されることになった。
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もう一つ、古いレコードの中に混じっていたのが、「富寿しおけさ」というSP盤のレコードである。いったい、いつごろ作られたものなのか。レコード盤には、製作年などは書かれていない。
SPレコード1950年代後半まで生産され、その後はLPレコードに完全に移行した。現在はレコードをかける蓄音機が手に入らないことから、岸田代表は横瀬オーディオ(本町6)の横瀬和夫会長に音源のCD化を依頼した。
ところが今年3月、会長宅が全焼するという火災があり、約2000枚もの貴重なレコードとともに、「富寿しおけさ」のレコードは焼失したかと思われた。だが、横瀬会長は、CD化の作業を本町6の本社で行っていたため、焼失をまぬがれた。
CDがこのほど完成したため、さっそく借りて聞いてみた。メロディーは「佐渡おけさ」と同じものである。つまり、替え歌だ。
「富寿しおけさ」のレコード盤を見ると、作詞/小山直嗣、唄・三味/船三家三郎、囃子/海津らん丸と書いてある。作詞の小山氏は伝説収集家として知られるほか、国府小、春日中など上越地方の学校約100校の校歌を作詞したことでも知られる。2006年に、94歳で永眠している。
宮崎商店の歴史を調べると、法人化したのは1953年(昭和28年)。そして「富寿し」としての第1号店を高田駅前に出したのが、翌1954年である。つまり、レコードは1954年以降に作られたことになる。
さらにレコード盤を見ると、「日本マーキュリー」とレコード会社名が書かれている。
日本マーキュリーは1953年(昭和28年)6月、タイヘイ音響から社名を改め、多くの歌手の活躍により隆盛を極めた。だが、1955年(昭和30年)にはレコード市場の競争が激化し、スターを引き抜かれたりして早くも衰退したという。
この二つを重ね合わせると、このレコード盤は1954年か55年に作られたことが分かる。つまり、約55年前のものということになる。
このレコードは、宮崎商店の初代社長、宮崎富一郎氏が製作したもので、2代目の宮崎正会長(80)は、くわしくは知らないという。
だが、「父(富一郎氏)は小山直嗣さんと親しかったので、作詞を頼んだのだろう。裏面の歌『博覧会音頭』は、市会議員だった父が高田で開催した博覧会を盛りあげようとして入れたのではないか。伴奏や歌は、仲町の花柳界の芸者さんだと聞いている」と話していた。
この歌は今でいうCMソング。レコードが発見された高田日活で、映画上映時に宣伝用としてかけられていたものだろうか。