上越のB級グルメ「夜光パン」の秘密

全国的にB級グルメが脚光を浴びている中、上越市高田地区を中心に戦前から綿々と食べ続けられている庶民のお菓子がある。それは「夜光パン」という、なんともインパクトのあるネーミング。今も上越市内の10店以上の和菓子店で販売され、最近になって売れ行きが伸びているという。そのネーミングの秘密と、歴史を探ってみた。

↓上越市内で通年販売されている夜光パン。左からマーブル市原(大町4)、太田
製菓店(稲田3)、金沢菓子店(北本町1)、滝本菓子店(南本町3)、栄喜堂(本町5)
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夜光パンとは

夜光パンは、小麦粉、卵、砂糖を練り上げて板状に延ばし、花札大の大きさに切って、銅板の上で一枚ずつ焼き上げる。最後に、粒が残る程度に煮詰めた砂糖液にくぐらせ、自然乾燥すると出来上がる。食感は乾パンとカステラの中間ぐらいで、懐かしい味わいと風味がある。

今は脱酸素剤を入れてビニール袋に密封して販売しているが、保存技術が発達していない時代、日持ちがする夜光パンは夏用の菓子として貴重だった。今は年間を通じて販売している店も多いが、帰省客などの需要が多い夏季のみ製造の店もある。

ネーミングの秘密

なぜ、夜光パンと呼ぶのか。夜になれば光るのだろうか。実際に暗闇で試してみたが、原料に夜光塗料が入っていないため、光るはずもない。北本町1の金沢菓子店の金澤義男さん(76)は、「表面の砂糖の粒が結晶のようになっており、月明かりでキラキラ輝くためではないか」と言う。

↓光をあてると砂糖の結晶がキラキラ光る
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なお、稲田3の太田製菓店は「夜光カステラ」という商品名で販売しているが、以前は夜光パンだったという。同店は2010年7月9日、「夜光」を商標登録し、今後は商品名を「夜光」に変えるという。

↓「夜光」の商標登録証(太田製菓店)

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いつから作られているのか

夜光パンは、いつごろから作られている菓子なのか。

江戸川乱歩の小説に出てくる怪人二十面相は、全身に夜光塗料を塗って「夜光人間」に扮した。戦後の少年雑誌に連載され、子供たちに大人気。当時の付録には夜光塗料を塗った夜光人間の紙製おもちゃが付いたものだ。

↓江戸川乱歩の「夜光人間」

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夜光人間がはやったころ、子供たちに買ってもらおうと菓子店が新製品として売り出したのだろうか。調べてみると、江戸川乱歩が雑誌「少年」に連載したのは、1958年(昭和33年)1月号から12月号である。

上越市稲田1の杉原菓子店の店主、杉原勲さん(70)は、「昭和30年代が一番売れた。朝から晩まで夜光パンを焼いた。1日に2000個も焼き、問屋に卸していたほど」と話す。夜光パンが売れた時期と、夜光人間が人気だった時期が一致する。

ところが、上越市内の和菓子店を聞いて回ったところ、「戦前からあったはず」「100年近い歴史がある」という人が多かった。稲田2の太田製菓店の4代目、太田正義さんは「明治28年の創業当時から作っていたのではないか」と証言する。

すでに当時を知る人はおらず、上越市史などの文献にも記されていないことから、はっきりしたことは分からない。菓子自体は古くから作られていたが、ある店がブームに便乗して「夜光パン」として売り出したら爆発的に売れ、ほかの店に広がったということも考えられる。

↓いろいろな大きさの夜光パン
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ヒットする条件に合致

B級グルメブームを起こした八戸せんべい汁研究所の木村聡事務局長は2010年9月8日、上越青年会議所が主催した講演会で、せんべい汁がヒットした要因として、(1)八戸にしかないオンリーワン(2)菓子を料理に使う意外性(3)予想外の食感(4)素朴でヘルシー、の4点を挙げた。

せんべい汁は200年以上の歴史があるが、夜光パンも100年の歴史がありそう。この地方だけのオンリーワンであり、新しく作り出したB級グルメと明らかに差別化ができる。夜光というネーミングのインパクトと、食感の意外性もある。見た目よりかなりおいしく、合成保存料や着色料を使わない素朴でヘルシーなお菓子である。

「夜光パン」が上越を代表するB級グルメとして、全国へ向けて売り出す条件は整っているのではないか。