バレンタインデーに「飴チョコ」いかが?

上越市が生んだ児童文学の父「小川未明」が大正時代に書いた童話に「飴チョコの天使」というのがある。

「飴チョコ」とはキャラメルのことである。具体的には「森永ミルクキャラメル」を題材にしており、パッケージに描かれている天使が主人公だ。

これが飴チョコ(小川未明文学館)
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森永ミルクキャラメルの公式サイトによれば、1899年(明治32年)の森永創業と同時に製造が開始されたキャラメルは、1913年(大正2年)に「ミルクキャラメル」の商品名になり、1914年(大正3年)から天使のマークが付いた黄色い箱(当初は20粒入/10銭)で販売されている。

「飴チョコの天使」は1923年(大正12年)3月に雑誌「青い鳥」に初めて掲載された。

上越市の小川未明文学館(高田図書館内)の展示スペース「童話体験の広場」に「からくり飴チョコ箱」と題した、この森永ミルクキャラメルの巨大オブジェがある。

森永製菓が「次世代を担う子供たちの心を育む施設に展示されることによりミルクキャラメルも次世代に受け継がれていって欲しいとの願い」から、全面的に協力したという。

2個ある巨大オブジェは長さ150cmほど。中にはキャラメル型のスツールが収められている。

小川未明童話全集に掲載されている「飴チョコの天使」
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この童話は全集に収められているのはもちろんであるが、手軽に読める新潮文庫の『小川未明童話集』に掲載されている。

「青い、美しい空の下に、黒い煙の上がる、煙突の幾本か立った工場がありました。その工場の中では、飴チョコを製造していました」で、物語は始まる。
製造された飴チョコは箱に入れられ、汽車に積まれて田舎へ送られる。そして卸の男が引く箱車にガタガタ揺られ、村の駄菓子屋に着いた。
駄菓子屋のおかみさんは、飴チョコを手に取り上げ「これは、みんな十銭の飴チョコなんだね。五銭のがあったら、そちらをおくんなさい。この辺りでは、十銭のなんか、なかなか売れっこはないから」と言う。
だが、持ってきたのは十銭のばかりだったので、飴チョコを三つばかり置いて男は帰る。
天使は駄菓子屋の前の小川や子供たちを眺め、「あの子供たちが飴チョコを買って、自分を小川に流してくれたら」と空想する。
田舎の子供たちには1箱10銭の飴チョコは買えず、売れないまま1年が経過する(賞味期限は切れていないのだろうか)。
ある日、一人のおばあさんが店に来て「なにか、孫に送ってやりたいのだが、いいお菓子はありませんか」と言う。
「東京の孫に、もちを送ってやるついでに、なにかお菓子を入れてやろうと思ってな」とおばあさんは言う。
「この飴チョコは、東京から来たのです」と言うと、「なんだっていい、こちらの志だからな。その飴チョコをおくれ」と言って飴チョコを三つとも買っていった。
飴チョコはまた東京に戻った。飴チョコは3人の孫に分けられた。
飴チョコを持って外に出た孫たちは、箱が空になると、1人は溝に捨て、1人は破り、1人は犬に投げる。青い空に上っていった天使の行く手には、美しい星が光っていた。

無惨にも、捨てられたり、破られたり、犬にくわえられたりした後に、ようやく天使が空に上ることができる、という少々やりきれない物語である。 (川村)