猿俣、猿毛、小猿屋、猿橋、猿供養寺…「猿」が付く新潟県上越地方の地名

動物の名前が付く地名は全国にあり、多くは地形に関係する。アイヌ語以外で「サル」が付く地名は、「ザレ」、つまり「崖」を意味することが多いという。多くは山が崩れて欠けたような場所を指す。新潟県上越地方には、地名にかかわる伝説も残っている。

今年の干支、申(さる)にちなんで、サルにちなむ地名を集めてみた。

【上越市】

▼猿供養寺(板倉区)

1679年(永宝7年)の越州四郡高帳に「山寺猿供養寺村」とある。「板倉町史(別巻)」などによると、次のような地名にちなむ伝説が残されている。

その昔、猿供養寺には観音堂、法定寺、法浄寺があり、観音堂に2頭の猿が毎日のように参詣し、聖僧の経を拝聴していた。時に猿は木の皮を持参して聖僧から経文を書き写してもらい、謝礼として山芋を捧げていた。

いつの間にか猿が参詣に来なくなったため、不審に思った聖僧が行方を探したところ、山寺の奥で猿が岩石の下敷きになって死んでいた。岩石の根元の芋を掘っていて、突然岩石が崩れ落ちたのだろうか。

聖僧は2頭の猿の遺骸を川の両側に埋葬した。その由来で川は猿又川と呼ばれている。聖僧がこの地に寺を建てて供養したので猿供養寺と呼ばれるようになった。

「猿供養寺」のバス停(上越市板倉区)
猿供養寺S

▼猿俣(浦川原村上岡)

保倉川支流の猿俣川上流にある。頸城郡絵図に村名がある。村名は朔日峠(ついたちとうげ)から見て申(西南西)の方角にあるため(「新潟県の地名」より)。1956年(昭和31年)に上岡と改称した。

「東頸城郡郷村図」(天和3年)には「猿又」とある(上越市浦川原区)
猿又地図S

▼猿毛城(柿崎区城腰)

米山南麓の標高478.9mの独立峰、城山(じょうやま)にある。1578~79年にわたる御館の乱で上杉景勝の拠点になり、上杉景虎攻略に大きな役割を果たした。

▼猿毛(柿崎区猿毛)

猿毛城の城下村。朝比奈家文書によると、かつてこの地の山中に鹿、熊、猿などが生息していたことに関わっている。

▼小猿屋(上越市小猿屋)

正保国絵図に村名がある。高田藩預所。

▼小猿屋新田(上越市小猿屋新田)

小猿屋村の枝郷。高田藩預所。

【妙高市】

▼猿橋(妙高市猿橋)

正保国絵図に村名がある。長沢川、平丸川が関川に合流する付近に位置する。「頸城の地名と姓氏」(石田耕吾著)などによると、旅をしていた僧侶が、大雨で橋が流されて関川を渡れず困っていた時、たくさんの猿が出てきて手をつなぎ合い、旅人を通してくれたという言い伝えが地名の由来だという。関川にかかる橋に「猿橋」の名が残っている。

関川にかかる「猿橋」(妙高市)
猿橋S

【糸魚川市】

▼猿倉(糸魚川市猿倉)

1597年(天正15年)8月の経田永付帳に「猿倉村」とある。