=2015年5月4日=
新潟県上越市大潟区に「人魚塚」があり、人魚は大潟区のシンボルにもなっている。鵜の浜海岸や、日帰り温泉の「鵜の浜人魚館」に人魚像があるし、新しくできた潟町駅には人魚のステンドグラスやレリーフが飾られている。だが、人魚塚にまつわる伝説は、佐渡の女と潟町の男の悲しい恋の話であり、人魚はどこにも登場しない。不思議な「人魚」の真相に迫ってみた。
まずは人魚伝説になった元の話を簡単に紹介しよう。『越後の伝説』(角川書店)によると、「昔、佐渡の小木から明神さまの常夜灯を目当てに、毎夜舟で通ってくる女があった。ところが男は女の深情けに困り、ある夜、常夜灯の明かりを吹き消した。翌朝、明神下の海岸に女の死体が漂着した。これを見た男は自分の非情を悔い、海に身を投げて死んだ。村人は結ばれぬ二人の死体をいっしょに埋め、その上に比翼塚を建てた。人々はこれを人魚塚と呼んだ」という話である。
この話は、佐渡のお弁と柏崎の籐吉の悲恋話「佐渡情話」にそっくりである。新潟県出身の浪曲師、寿々木米若の大ヒット作として、映画にもなった有名な話だ。佐渡情話では女はたらい舟に乗って男の元へ通うが、大潟では普通の舟でやってくるくらいの違いしかない。
ところで、村人が結ばれぬ二人を一緒に埋め、塚を建てたまでは分かる。だが、それがなぜ「人魚塚」に飛躍するのだろうか。「人魚塚」がある雁子浜に立つ説明板にも「誰が名をつけたのか、この比翼塚を人魚塚と伝えています」と書いてあり、さっぱり理由が分からない。
いろいろと調べてみると、『越後佐渡の伝説』(第一法規)に次のような記述がある。女の死体が海岸に流れ着いたとき、「長い髪が波に揺れ、まるで人魚のようだった」とあるのだ。最初に発見した村人が人魚と間違えるほど、美しい姿だったのかもしれない。
美しくも一途な女。そしてそれを裏切った男の非情……この物語は、小川未明の童話「赤い蝋燭と人魚」のテーマに重なってくる。