80年前のベルリン五輪 体操競技で活躍した上越出身選手がいた!

リオデジャネイロ五輪の体操男子団体で、日本は12年ぶりに金メダルを獲得した。「体操王国ニッポン」の復活と言われるが、日本で最初の公開競技が行われたのが1929年(昭和4年)というから、まだ歴史が浅いスポーツである。その体操競技の黎明期、1936年(昭和11年)のベルリン五輪に出場し、活躍した新潟県上越市出身の選手がいた。

ベルリン大会徒手規定競技中の曽根選手(「体操競技写真大鑑」より)
ベルリン大会徒手規定競技中の曽根選手

曽根道貫(そね・どうかん)選手は、1914年(大正3年)、中頸城郡高士村(現在の上越市)上曽根で生まれる。高田中学から日本体育会体操学校(現在の日体大)に進み、1935年(昭和10年)に卒業した。ベルリン五輪では個人7種目に出場し、徒手で30位が最高で、男子総合では73位だった。だが、男子団体総合では9位と大健闘した。

男子団体総合は予選では3位だった。8月20日付高田日報には、生家で吉報を待ちわびる祖父の隆道さんのコメントが掲載されている。「あいつもお国のために一生懸命やっているのでしょう。年寄りには軽業のような奇妙なことばかりやるので、よくは判りませんが、ただ勝ってくれればよいと祈っていました。予選に三等だったそうですが、あいつの成績がどんなものだったか早く知りたいです」と述べている。

後方宙返りをする曽根選手(昭和12年菅平・「体操競技写真大鑑」より
後方宙返り(昭和12年菅平)

曽根家に保管されている「体操競技写真大鑑」(日本体育協会監修・1978年発行)には、3ページにわたって、ベルリン五輪に出場した際の写真などが掲載されている。「研ぎ澄まされた、切れるような鋭い演技をする人だった」と解説がある。

曽根さんはその後、東京の本郷中学(現在の本郷高校)の教諭を経て、東京警視庁工場課の嘱託をしていたが、1941年(昭和16年)に郷里に戻り、高士村役場に勤務した。

曽根さんの長男、曽根隆智さん(正法寺住職)は、「父は平成4年に亡くなったが、『夜遅くまで技の練習をしていた』と話す程度で、オリンピックのことはほとんど聞いていない。出場記念と思われるメダルを見た記憶があるが、所在が分からない」と話している。