国交省は “せきかわ” が正式
関川の河口から12kmを管理している国土交通省の高田河川国道事務所河川管理課は「1969年(昭和44年)3月20日に一級河川に指定した際の告示にふりがなはないが、そのときから“せきかわ”と呼んでいる」と説明する。関川を管理する国交省の正式な呼称は「せきかわ」であり、看板の表示にも使用している。
地名辞典には両方の記述
地名辞典などでは「せきがわ」「せきかわ」両方の記述が見られた。
明治時代後期に出版された「大日本地名辞書」は、本県出身の吉田東伍が編纂した日本初の地名辞典だが、残念ながら関川の項で「川」の部分にルビがない。
【せきがわ】
- 「国史大辞典15」(吉川弘文館)
- 「角川日本地名大辞典・新潟県」(角川書店)
- 「新潟県民百科事典」(野島出版)
- 「コンサイス日本地名辞典」(三省堂)
【せきかわ】
- 「新潟県の地名」(平凡社)
- 「新潟県大百科辞典」(新潟日報事業社)
校歌はすべて「せきがわ」と歌う
旧上越市内で「関川」が入っている小学校の校歌は稲田、大和、三郷の3校のみ。このうち最も古い校歌は稲田小で、1922年(大正11年)。いずれも「せきがわ」と歌っている。稲田橋より下流は、近年まで「荒川」と呼んでいたため、多くの小学校では「関川」ではなく「荒川」を採用している。
妙高市の小学校では新井、新井中央、新井北、新井南、妙高高原南の校歌に「関川」が使われ、すべて「せきがわ」と歌っている。
「関川」の地名を調べてみた
妙高市に「関川」(旧妙高高原町)「関川町」(旧新井市)の2か所の地名がある。妙高市の住所表記を調べると、読み仮名はいずれも「せきがわ」「せきがわちょう」だった。
「国史大辞典」(吉川弘文館)では、妙高市関川の地名について「中世の関之荘を貫く渓流の名に由来する地名と思われる」と書き、読み方は「せきがわ」としている。ならば、地名と川の発音は同じはずだ。
山形県鶴岡市にある「関川」、愛媛県JR予讃線にある「関川駅」、愛媛県東部を流れる「関川」、広島県東広島市を流れる「関川」、栃木県佐野市の「関川町」は、いずれも「せきがわ」と読む。
「せきかわ」と読む地名は、新潟県北部にある関川村のみ。これは1954年、関谷(せきたに)村と女川(おんながわ)村が合併し、1文字ずつとった合成地名である。これでは参考にならない。
出版物にはどう書かれているか
江戸時代に出版された「越後國細見図」などの古地図を調べたが、この時代はふりがながなく、当時はどう発音されたか知るすべはない。「和名抄」などの古辞書類にも記載がない。
出版が盛んになった明治維新以降は、漢字が読めない人や子供も読みやすいよう、ふりがなが一般的になった。第二次世界大戦後は漢字制限が行われ、ふりがなは減った。つまり、ふりがなが多い明治から戦前までの著作物を調べれば良いことになる。
尾崎紅葉の紀行文に「せきかわ」発見!
明治の文豪「尾崎紅葉」が1899年(明治32年)7〜8月にかけ、本県の赤倉温泉や新潟市、佐渡で病気の療養のために旅をした。この様子を「煙霞療養」(1904年刊)という本に書いている。赤倉温泉の様子を書いた2か所に「関川」を発見した。この時代は言文一致で、濁音と非濁音は区別されている。いずれもふりがなは「せきかは(せきかわ)」であった。
連濁で「せきがわ」に?
これまでの調査から、明治時代までは「せきかわ」と発音され、次第に「せきがわ」に変わっていったと考えられないだろうか。
「関」と「川」という2つの語が結合するような場合、後ろの語の語頭の清音が濁音に変わることを「連濁(れんだく)」と言う。色紙(いろがみ)、恋文(こいぶみ)、青空(あおぞら)などの例がある。
「高田(たかだ)」も古くはタカタで、前述の「煙霞療養」には「たかた」とふりがなが付いている。1886年(明治19年)に高田駅が開業する際、駅名の読み方をタカタにするかタカダにするか論議されたと伝えられる。
「せきかわ」から「せきがわ」への連濁について、上越教育大・日本語学の野村眞木夫名誉教授に問い合わせたところ、「連濁に該当することは間違いがないでしょう」と述べ、先行研究例などを教えてもらった。
河川名の連濁傾向は、静岡大人文社会科学部の城岡啓二教授が「明治時代以降の『〜川』の連濁と非連濁について」(2013年)という論文で発表している。城岡教授は「河川名の強い連濁傾向は、明治以降強まってきた」と述べ、全国の事例を紹介。姫川や荒川など、連濁しない場合の法則性も説明している。