新潟県妙高市関山付近から、妙高山(2454m)の山頂(中ノ峰)に、筆で書いたような力強い「山」の字の雪形が見える季節になった。江戸時代には関山に関所があったことから多くの出版物に描かれ、旅人などに知られていた雪形で、「跳ね馬」よりも有名だった。
「山」の字の雪形は例年、5月中旬から6月上旬にかけて出現する。「跳ね馬」のように黒く現れるのではなく、黒い地肌に白く現れるのが特徴。上越市や妙高市新井地区からは見えない。
江戸時代の図会で紹介
江戸時代に出版された3種類の木版出版物に「山の字」の雪形が描かれている。「跳ね馬」は図会などに出てこないことから、当時は「山」の字の方が有名だったことが分かる。
◇江戸時代後期の浄土真宗の僧、了貞が著した「二十四輩巡拝図会」の第5巻(1803年刊)に、山の字の雪形が絵入りで出てくる。「きさらぎの頃 雪の解けかたは山の字を顕せる処 往還の旅人眺めて殊に奇とせり」と書かれている。
◇江戸時代末期、信濃国佐久郡臼田町の神官であった井出道貞が書いた地誌「信濃奇勝録」第2巻にも、絵入りで紹介されている。「五月中 雪消テ山字ノコル」とある。
◇江戸中期に関山にあった寺院、宝蔵院で発行した妙高山の登山許可証である阿弥陀如来三尊像の版画にも、「山の字」が彫られている。
明治時代以降も出版物で紹介
明治時代に入ってからも、「山」の字は広く知られ、各種出版物に書かれている。
◇1891年(明治24年)に発行された「燕鉱泉全図」という観光案内図にも、妙高山の「山の字」が大きく描かれている。
◇1939年(昭和14年)発行の「観光の高田」(上野周吾/高田商工会議所)では、妙高の雪形を写真入りで取り上げているが、「跳ね馬」ではなく「山」の字を紹介している。「関山、田口間より眺め得る妙高の残雪は実に天下の奇観で峰近きところはっきりと山字をあらわしておるところ、この写真にもあらわれている」と書いている。
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