=2012年8月31日午後5時現在=
2012年8月31日、新潟県上越市港町2の大平洋特殊鋳造直江津製造所で掘削作業中に発見された砲弾状の物体は、旧日本陸軍の50kg爆弾だということが分かった。
同日午後3時過ぎに陸上自衛隊朝霞駐屯地(埼玉)の爆弾処理班2人が現場に入り、約1時間かけて調査した。その結果、信管がないことや旧日本陸軍のものであることが判明し、処理班は爆弾を持ち帰った。
同製造所によると現場付近には、終戦まで軍需工場があったという。
=2012年8月31日午後1時30分現在=
2012年8月31日午前9時30分、新潟県上越市港町2の大平洋特殊鋳造直江津製造所で掘削作業中、砲弾のようなものを発見したと警察に110番通報があった。上越警察署では午前10時から半径100m以内に立ち入り禁止規制をし、市立古城小の児童、教諭ら59人が一時佐渡汽船ターミナルに避難した。その後、爆発の危険性がないとして午前11時45分に規制が解除された。
上越署によると砲弾状の物体は長さ90cm、直径25cmで、地下1.5mほどのところに1本が埋まっていた。同製造所が敷地内で天然ガスの受け入れ施設の基礎工事をしていたところ、土砂に紛れ込んでおり、ダンプカーへ積み込む際に発見した。
同署が県警本部を通じて陸上自衛隊に照会したところ、「動かさなければ爆発などの危険性はない」との回答があり、立入禁止規制を解除した。
市立古城小は午前11時5分ごろ、港町1の佐渡汽船直江津ターミナルに児童46人と職員ら13人、計59人を避難させた。児童らは同所で昼食をとった後、規制解除に伴い学校に戻った。青野直樹校長は「学校が隣接していて、周囲には住民の方もたくさんいるので安全が確認されてよかった」と話していた。
上越市内ではこれまでも終戦直前の米軍機による不発弾や、旧日本軍のものとみられる砲弾が発見されている。主な不発弾の処理、発見は次の通り。
▼2006年(平成18年)12月10日 安江1に埋没していた不発弾を自衛隊が処理。周辺の667世帯1292人に避難を勧告した。
▼2006年(平成18年)6月5日 春日新田4で砲弾発見。
▼2006年(平成18年)5月30日 春日新田4で砲弾発見。
▼1993年(平成5年)11月5日 安江2に埋没していた不発弾を自衛隊が処理。周辺住民約1300人が避難した。
▼1980年(昭和55年)7月 三ツ屋の不発弾を処理。