大正時代 人気ダントツ1位だった上越の名所旧跡はどこ?

明治から昭和初期まで高田にあった日刊新聞「高田日報」は、郷土の名所旧跡を掘り起こして天下に紹介しようと、今から85年前の大正15年(1926年)春に読者から「上越名所旧跡投票」を募集しました。さて問題です。総得票数の10.6%を集めて、ダントツの第1位となった名所はどこでしょう。高田公園の桜ではありません。

上越市史によると、大正末期から昭和初期にかけては、全国的に鉄道網の整備が進み観光客が増加した時代でした。各自治体は観光を重要な産業としてとらえ、積極的に誘致活動を始めました。この時期には、地元の観光名所を題材にした多数の絵葉書も発行されました。

上越地域では、信州方面から直江津海岸を目指す修学旅行の誘致から始まり、団体客による親鸞ゆかりの旧跡巡礼などがさかんでした。

「上越名所旧跡投票」は、3月15日から4月15日まで、1か月かけて行われました。対象とする地域は上越地方の一市三郡です。新聞紙面に刷り込まれた投票用紙やはがきに「1票に1か所」の名所旧跡を記入する方法で投票が行われ、なんと計23万8226票が集まったのです。

その結果は4月16日の新聞紙上で発表され、5月4日からは上越代表に選ばれた10位(同票があったため実際は11か所)までの名所を写真入りで紹介する連載も行われました。

上越名所旧跡投票で1位となった「滝寺不動」
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それでは1000票以上を獲得した30位までの投票結果を紹介しましょう。

  1. 25225票 滝寺不動(金谷)
  2. 16468票 白山神苑(能生)…糸魚川市
  3. 13184票 林泉寺(春日山)
  4. 12754票 菅原神社(菅原)…清里区
  5. 12723票 浄興寺(高田)
  6. 12707票 浄善寺(柿崎)…柿崎区
  7. 11891票 塔ケ崎大池(明治)…頸城区
  8. 11563票 鮫ケ尾城址(斐太)…妙高市
  9. 11524票 八坂神社(下保倉)
  10. 11038票 春日山公園
  11. 11038票 大杉(虫川)…浦川原区
  12. 8120票 観音寺兜池(直江津)
  13. 7760票 海水浴場(谷浜)
  14. 7357票 御休憩所(和倉楼)
  15. 5707票 諏訪神社大ケヤキ(稲田)
  16. 5478票 日光寺薬師(杉坪)…浦川原区
  17. 4590票 一ノ宮(糸魚川)…糸魚川市
  18. 3224票 雁田神社(名立)…名立区
  19. 2963票 栄町の夜桜(高田)
  20. 2662票 長兵衛鳥居(森本)…頸城区
  21. 2540票 師団の桜
  22. 2484票 湯谷温泉(金谷)
  23. 2285票 田中行在所(潟町)…大潟区
  24. 2237票 直峰城址(安塚)…安塚区
  25. 1995票 海水浴場(名立)…名立区
  26. 1890票 若宮神社(富岡)
  27. 1882票 五柱神社(潟町)…大潟区
  28. 1463票 福因寺(寺野)…板倉区
  29. 1337票 子安神社(新道)
  30. 1258票 浄福寺(柿崎)…柿崎区

滝寺不動
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ダントツ1位の「滝寺不動」には驚きますね。名前は知っていても、行ったことがある人は少ないのではないでしょうか。

上越市高田の市街地から県道上正善寺高田線を正善寺方面に車を走らせると、飯を過ぎたところに滝寺不動や水芭蕉群生地の場所を案内する大きな看板があります。そこから約1.5キロのところに入り口が見えます。

鳥居をくぐって80mほど進むと、右手に鳥居が見え、高さ3mほどの滝があります。上越市の市街地から近い唯一の滝でもあります。

高田日報(記事のリンク)によると、滝寺不動は奈良時代の和銅5年(712年)に安置されたそうです。ある日、米山にいた泰澄大師が西南の空に五色の雲がたなびくのを見て滝寺にたどり着くと、暗夜に不動明王が現れ、山上の桜の木の下に黄金の毘沙門天があるとお告げがありました。そこで大師が祠を建立してまつったものだといいます。

昔のにぎわいを知る上越市滝寺の近藤シズエさん(85)は、「春と秋に祭りがあって、上越一円から多くの参拝者が集まりました。高田の芸者さんもタクシーに乗ってやってきました。行者さんが滝に打たれて修行をするなど、熱心な信者がたくさんいました」といいます。

なお、今や上越市最大の観光イベントとなった高田城百万人観桜会ですが、85年前のランキングでは、「師団の桜」として21位にとどまっています。

高田公園の桜は、第十三師団の高田設置が決まったのを記念して、高田の在郷軍人団が寄付金を集め、明治42年(1909年)2月にソメイヨシノの苗2200本を植えたことが始まりです。花がようやく咲きそろったのが大正3年(1914年)で、市民が師団司令部内に入って花見をすることを許されたのは同6年のことです。

大正14年に保勝会(現観光協会)ができ、第1回の観桜会が開かれたのは投票が行われ最中の大正15年(1926年)4月でした。

この当時は、青田川沿いの「栄町の夜桜」の方が19位で、師団の桜より人気が高かったのです。(川村)