新潟県上越市国府1にかつてあった上越青少年文化センターに入ると、レトロな「案内ロボット」が出迎えてくれたことを覚えているだろうか。このロボットをデザインしたのは、漫画家の手塚治虫さんだった可能性が高いことが最近の研究で分かってきた。同種のロボは4体作られたとされ、上越市の案内ロボは2012年度のセンター廃止後、処分されており現存しない。
研究を進めているのは、国立情報学研究所特任専門員の藤吉隆雄さん。科学技術発展へのマンガ・アニメの影響などを調べている。藤吉さんによると、4体のうち現存しているのは静岡市の静岡科学館の1体だけで、同館には手塚さんがデザインしたという説明付きで展示されていたという記録があるが、その来歴は明らかでなかった。
藤吉さんは昨年9月、このロボットを各地の科学館などに納入したメーカーの技術者を探し当て、聞き取り調査を実施した。その結果、手塚さんにデザインを依頼して完成した1号機が、1970年頃に兵庫県宝塚市の宝塚ファミリーランドに納入され、2〜4号機はその後、1号機の設計を流用して静岡市立児童会館、上越青少年文センター、福岡市立少年科学文化会館の3施設に納入されたという証言を得た。
静岡での納入の際には、手塚さんがデザインしたという売り込みがなされ、その後も伝承されたため廃棄を免れたが、上越などほかの施設では説明がなされず納入されたのではないか、と藤吉さんはみている。
手塚さんがデザインしたロボットは1970年の大阪万博フジパン・ロボット館が知られている。今回の4体が手塚さんデザインである確証が得られれば、手塚さんの知られざる業績の発掘となる。
上越青少年文化センターは1971年11月にオープンし、案内ロボットが納入されたのは2年後の1973年度。上越市教育委員会によると、施設の老朽化により2012年度にセンターが廃止された際に、案内ロボットは廃棄されたという。
1971年から75年まで同センター職員として勤務していた現・上越市議会議員の飯塚義隆さん(69)は当時を振り返って「ロボットは目が光り、手を上下左右に動かして、何かしゃべったと思う。手塚治虫さんという話は当時もまったく聞いたことがない。知っていれば市も保存しただろうに。惜しいことをした」と話している。
藤吉さんは、調査研究の経緯を昨年12月の科学技術社会論学会、今年6月の日本マンガ学会で発表している。今後も、上越青少年文化センターを含む4施設の記録文献、記憶証言を発掘し、手塚ロボの全容を明らかにしていくとしている。
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