2024年1月1日の能登半島地震で、緊急消防援助隊新潟県大隊として石川県に派遣されていた上越地域消防局の隊員が17日、中川幹太上越市長に現地での活動を報告した。通信状態が悪い中、道路の寸断や相次ぐ余震、降雪と過酷な環境下での任務を振り返った。
県大隊は1日出発の第1次隊から第4次隊までの872人を石川県輪島市と能登町に順次派遣し、15日までに捜索救助や救急活動を終えた。同局からは88人が出動し、転院などで7人を搬送したほか、輪島市の土砂崩れ現場で1人を救出したが死亡が確認された。また火災で消失した輪島市の朝市通りや倒壊家屋での捜索などにも当たった。
上越市役所を訪れた池田聡消防局長や、第1次派遣部隊長を務めた同局予防課副課長の古川敦さん(50)、第2次派遣部隊長で上越消防署副署長の岡田昌也さん(49)ら5人が、撮影した写真を交えて中川市長に活動報告した。
1日午後11時前に同局を出発した第1次隊は、翌2日未明に金沢市に入り、夜通し移動するなどして4日朝までに能登町に隊員が寝泊まりする活動拠点を移した。古川さんは「発災直後で道路、被害状況が分からず、情報が錯綜(さくそう)する中なるべく前線に向かった。時間の経過とともに土砂崩れや陥没が起きるなど当初の情報通りにいかず、その都度ルートを変えたため危険を伴うところもあった」と難しさを語った。
第2次隊は輪島市の土砂崩れ現場で、生き埋めにされた家族3人の捜索救助に当たった。巻き込まれた建物は火災も同時に起きていたため、消火しながら手堀りで土砂をかき分けた。岡田さんは「崩落現場は大規模でどこから手を付けていいかという状態だった」と振り返った。
常に余震を警戒しながらの捜索救助だったというが、実際の活動以外でも同局から活動拠点までの移動に16時間かかったほか、拠点では雪が25cm積もった日もあり、テントが潰れないよう夜中でも除雪するなど厳しい環境だったという。「到着するまでが過酷で、環境に準じた対応を即座に行うところを今後強化していきたい」と述べた。
中川市長は「過酷な現場で思う通りに救助ができなかったかもしれないが、無事に任務を終えて帰ってきてくれた」とねぎらい、「現場を見てきたことを経験として、次の代にも引き継いでほしい」と話した。
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