夕方は妙高山に虹はかからない
虹が現れるのは太陽と反対方向の空である。最も虹が出やすい夕立後の虹は東方面の空に出る。妙高山は高田の市街地から見ると、南南西の方角にある。夕方に妙高山に虹がかかる可能性はほとんどない。
では朝方なら、妙高山に虹がかかることはあるのか。朝方に妙高山に虹がかかるとすれば、朝日が北北東から昇らなければならない。高田から見て、米山より少し左側から朝日が昇ってくれば、虹が出る可能性があるのだが。
高田から妙高山の虹が見られる可能性は低い
太陽が最も北よりから昇る季節は夏至(6月21日)の頃である。高田からほぼ北東に位置する米山の右側から昇ってくる。これでは、よほど大きな虹のアーチができない限り、妙高山に虹がかかる光景を見る可能性は低い。
妙高山にかかる虹の光景は、作詞者の町田太郎氏の想像とは考えられないだろうか。虹がかかる妙高山は、詩(詞)の題材として素晴らしく、目に浮かぶようである。
堀口大學の詩に“虹の妙高山”が登場
詩人の堀口大學(1892-1981)は、1945年(昭和20年)に戦火を避けて妻の実家である妙高市関川に疎開し、1年5か月を過ごした(その後、高田に転居)。その堀口に“虹の妙高山”が出てくる『妙高山』という詩がある。長野県境に近い関川からなら妙高山はほぼ西にあたり、朝方には虹が見える可能性が高い。
『妙高山』
千古天上の風雪に
ひたひをさらし
ぢつと堪へて来た山だから
せめて短い夏のまは
やはらかいもので
やさしく包んでやらう
雲のまわたで
虹のショールで
妙高山に虹がかかるのを見るなら、見る場所を高田より南(妙高市方面)へ移動すれば良い。
「日の出・日の入りマップ」(https://hinode.pics/)で調べた結果、妙高市の赤倉付近や桶海付近では9月下旬、妙高山の反対側の真東から太陽が昇り、真西の妙高山付近に落ちる。この直線上では朝方、妙高にかかる虹を見る可能性が高いことも判明した。
上越地域で開かれる写真展で探したり、ネットで画像検索をした結果、妙高市関山や池の平、上越市板倉区で、虹がかかる妙高山を目撃したり、写真撮影していた人がいることが分かった。
関山の「休暇村妙高」では秋がチャンス
妙高市関山にある「休暇村妙高」の2018年10月30日付のスタッフブログに、妙高山に虹が出たことが書かれている。
「最近わりとちょこちょこ朝方に妙高山の中腹あたりに虹がでます。虹は太陽を背にして、自分の正面が雨模様、雨上がりのお天気だと現れることが多いです。休暇村からは正面に妙高山が見え、そしてそのほぼ真逆の斑尾の山並のむこう側から朝日が昇ってくるのですが、ちょうど朝6~7時前ごろに朝日が妙高山に当たるので、そのタイミングで妙高山が小雨や霧っぽくなっていると虹が見られます」と書いている。
板倉区から虹の妙高山を撮影
上越市板倉区の「ゑしんの里 やすらぎ荘」のFacebookページに2020年9月10日、「虹が妙高山頂から伸びていました。珍しい光景ですね。しかもダブルレインボー!」と、二重の虹がかかった朝焼けの妙高山の写真が投稿された。板倉区下米沢から撮影したという。
妙高市大鹿で「妙高山と虹の2ショット」
「妙高市大鹿地区応援隊」のTwitterに2016年11月17日、妙高山頂から上に伸びる朝虹の写真が投稿された。「今朝の妙高山です!小雨がちょっと降ってました…奇跡的に虹と2ショットです!!」。
いもり池から妙高山にかかる虹を撮影
妙高市関川の池田求さんは、3〜4年前の7月、午前6時頃に池の平のいもり池で、妙高山にかかる虹の写真を撮影した。幻想的な写真で、2022年の妙高市展に出品した。太陽は北東方向から昇り、妙高山の左側に虹がかかっている。
◆「高田の四季」とは
「高田の四季」を作詞・作曲したのは、高田中学校(現・県立高田高校)の教師、町田太郎で、終戦直後の1946年(昭和21年)の作品。本来は地理・歴史の教師だが、徴兵された音楽教師に代わって音楽の授業も担当していた。敗戦で心に傷を負った学生を元気づけようと、授業の中で自らピアノを弾いて披露したという。
上越市の美しい四季を歌い上げたこの曲は、故郷の誉れとする市民の心情を代弁し、一般にも次第に広がっていった。宴席で芸者衆も歌い、踊りも付けられた。1967年(昭和42年)に初めてレコード化され、その後カセットテープ、CD、ビデオにもなった。
◆「高田の四季」の歌詞と歌(高田高等学校校友会公式サイト)
http://www.takada-koyu.com/fourseasons/