新潟県妙高市の入村明市長(75)は2022年9月27日、市議会9月定例会最終日の本会議終了後に登壇し、これまでの5期20年を振り返りながら「妙高市を未来に引き継ぐお手伝いができた」と、今期限りの引退を公式の場で表明し、感謝を述べた。続いて開かれた記者会見では、引退の経緯や心境などを述べた。
入村市長は2002年11月、旧新井市長選挙に出馬し、3人の対立候補を下して初当選。2005年の合併で初代の妙高市長となるなど、現在5期目。
登壇した入村市長は、「市長就任以来、最優先事項は市民の皆さんを守ること。全責任は私にあるという覚悟のもと、困難に立ち向かうことができた」と述べ、2011年からの3年連続豪雪、2013年の台風18号による矢代川堤防の決壊など、自然災害への対応を振り返った。
また「市民、議員の皆さん、職員と一緒に歩んできた。市を預かる者として、幸せな経験をさせていただいた」と感謝を述べた。
任期満了に伴う妙高市長選挙は10月23日告示、同30日が投開票。これまでに前市観光商工課長の城戸陽二氏(55)と、市議会議員の宮澤一照氏(56)が無所属での出馬を表明しており、新人同士の一騎打ちとなる見通しだ。
入村市長と記者の一問一答
入村明市長は市議会9月定例会終了後、記者会見に応じ、引退の経緯や心境などを述べた。
ー20年間を振り返って印象に残ることは。
入村 ここは雨が多く、台風が来る。脆弱な地盤で地すべりが起きやすい。冬は雪の問題があり、気の休まることはなかった。
ーこの時期になり引退を正式表明したのはなぜか。
入村 いろいろな機会があったが、議会がベターだと思った。(各方面への)影響を抑えることもあり、簡単に「やめます」と言って、あとはどうでもいいというわけにいかなかった。
ーこれまでやってきたことの自己評価は。
入村 頑張ったという気持ちはあるが、評価というのは私がするものではない。
ー議場であいさつした後の今の気持ちは。
入村 「やれやれ」というわけにはいかない。任期がまだある。
ー市長選挙への関わり方は。
入村 どちらにも公平だ。依頼があり、公務に影響なければ、手伝う気持ちはある。あえて私の方から動くということはない。
ー旧新井市の基礎を作り、名市長と言われた池田正晴氏は、6期目を目指し選挙に出馬したが多選批判で敗れた。そのことはご存知だったか。
入村 私はその頃、ここにいなかったので、よく分からない。初めて聞いた。4選でもやめるチャンスはあったが、「今ここでやめたらどうなるか」という責任もある。一般論での長いとか短いとかではなく、今回は自分なりに「75歳まで」と決めていた。
ー年齢以外に引退を決めた理由は。
入村 時代が激動している。例えば「これは俺には越えられないぞ」という課題もいくつか出てくる。それをあえて勉強してまたやれるかというと疑問がある。
ー5月の会見で進退について問われたときに、「今動いている新規事業もあるので、責任を果たす」と話した。責任に目処がついたのか。
入村 ほとんど良い方向へ行った。
ー20年間で妙高市はどのように変わったか。
入村 小さい行政としての限界を感じた。ここだけではどうにもならない。国や県、民間がどうやって動くか。次にやる方にも理解してもらった方がいい。何でもできると思ったらとんでもない。逆に潰される。
ー次の市長にアドバイスや助言はするのか。
入村 私は退く立場だから、「ああだ」「こうだ」と言って影響を残すのはおかしい。
ー引退を決断したタイミングはいつか。
入村 6月の一般質問が終わってしばらくした頃か。周囲に相談したら「簡単にはいかないだろう」「まだ責任あるぞ」という人が多かった。
ー市政運営で良かった点はあるか。
入村 あえて言うと、財政を立て直した。市町村合併したときは、500億円に欠ける借金があった。議会、市民、職員の皆さんが頑張ってくれ、財政は抜群になった。これはほめてやりたい。
ー妙高市の課題は何か。
入村 人口を増やすことは至難の業だ。現状維持が第一歩。現状維持ができるようになったら次はどうするかの処方箋が書ける。人口を2000人とか3000人を増やすというのは絵空事。もっと着実にしなくてはならない。制度を改革しなくては無理だと、国などに言っている。
ー任期満了後の予定はあるか。
入村 遊んでいるので、「ごみ拾いに来い」とか言ってほしい。いつでも手伝う。
ー市長はよく「市を預かっている」と言うが、その真意はなにか。
入村 市民の命や財産のこと。たまたま責任者として選ばれているのが私。だから、自分のものではない。預からせてもらう。預かっている間、悪くしちゃだめだ。良くするのが仕事。振り返って、悪くなったことはないと思う。あえて言えば、財政を健全化させたことだ。
ー最後に市民の皆さんに一言。
長いことありがとうございました。本当にお世話になった。地域で生の意見をいろいろ聞いた。断ったことは一度もない。そういう予算を用意するのが私の仕事だから。