第22回冬季オリンピック大会がいよいよ2014年2月7日にロシアのソチで開幕する。自爆テロの犯行予告もあり、会場の治安を不安視する声が出ているが、新潟県内にもちょっと怖いソチがある。上越市から片道約1時間半、スポーツの名所でもあるソチを訪ねてみた。
その場所は新潟県柏崎市と刈羽村の境界、国道8号にある標高130mの曽地(そち)峠。毎年10月に行われる新潟県縦断駅伝では、第8区の「心臓破りの難所」として知られる。駅伝ランナーの鬼門と言えるが、もっと怖いのは、昔から「幽霊峠」と呼ばれ、恐ろしい伝説が残っているからだ。
曽地峠は昔からある道路ではなく、1878年(明治11年)の明治天皇北陸巡幸に伴い、突貫工事で開削された。峠の道は曲がって狭く、冬は車が渋滞した。1985年(昭和60年)3月に峠の真下に赤田トンネル(444m)が完成し、積雪期も安全に通行できるようになった。
1977年(昭和52年)に公開された映画「トラック野郎」の第5作「度胸一番星」の冒頭部分に曽地峠が出てくる。赤田トンネルができる前なので、旧道である。
星桃次郎(菅原文太)の“一番星”と松下金造(愛川欽也)の“ヤモメのジョナサン”の二人が曽地峠にトラックを止める。桃次郎が水子地蔵の近くで立ち小便しようとすると、ジョナサンが「ここは幽霊の名所だぞ」と叫ぶ。すると白装束の女(片平なぎさ)が現れ、桃次郎は一目惚れしてしまう。女は「佐渡で」と言い残して消えてしまう。二人は佐渡へ向かい、西三川の小さな分校で美しい先生と出会う。その先生こそ、曽地峠の女だったのだ。
ジョナサンが「幽霊の名所」と言ったのはわけがある。この地には、恐ろしい伝説が残されている。
1924年(大正13年)12月発刊の「伝説の越後と佐渡」(中野城水著)には「おまんケ井」というタイトルで載っている。それによると昔、曽地峠に若くて美しい容貌の武士が、妻のおまんと暮らしていた。ところが武士に一人の愛人ができてしまったという。武士は愛人にそそのかされ、妻を殺して近くの井戸に捨ててしまった。その後、二人はおまんの怨恨で命を縮められ、まもなく死んだと伝えられる。井戸に向かって「おまん」と呼べば、水が湧き立ち波打つといい、その井戸は今も残っているという。
恐ろしい怨恨が残る「幽霊の名所」であり、トラック野郎のロケ現場でもある曽地峠の旧道を歩いてみることにした。入り口には車両通行止めの札が立てられ、柵があった。道路上には約20cmの雪があったが、歩けないことはない。
10分ほど歩くと、赤田トンネルの真上に出た。ここに「明治天皇御駐輦記念碑」が建てられていた。記録によると、明治天皇は1878年(明治11年)の9月23日にこの地面を通過された。当日はあいにくの激しい風雨となり、道路は泥道となったため、用意した休憩所で休まれずに通り過ぎたという。
旧道は両側に山が迫っていて、昼間でも薄暗い。道路幅が狭いため、大型トラックのすれ違いは大変だったことが想像できる。道路標識や街灯など、元の国道だった名残は随所にあった。約500mの旧道を歩いて往復してみたが、雪のため伝説にある古井戸の場所は分からなかった。映画でトラックを止めて立ち小便をした場所も探してみた。記念碑近くにそれらしき坂があったが、特定はできていない。