妙高山の「山」の字の雪形 山岳信仰と深いつながり

新潟県妙高市の関山神社付近から見える妙高山の山頂付近に、妙高山の本尊「阿弥陀三尊像」の象徴である「山」の字の雪形が現れた。関山神社では2022年5月21日から秘仏の御開帳を行っており、「山」の雪形が彫られた阿弥陀三尊像を見ることができる。

阿弥陀三尊像に「山」の字

阿弥陀三尊像は善光寺如来の姿を模したもので、平安時代末期の武将、木曽義仲が1181年(治承5年)に妙高山頂の阿弥陀堂に奉納したとの伝承がある。「妙高山如来」とも呼ばれ、年に一度の信仰登山のときにのみ参拝できた。

関山神社の御開帳で公開されている阿弥陀三尊像。下部に「山」の字が見える(許可を得て撮影)

神社の祭礼を行う寺院「関山宝蔵院」は、旧暦の6月23日を登山日と定め、大勢の登山者を迎えた。登山者は初穂料を献上して御札を受け取り、懐に入れて登山した。御札は阿弥陀三尊像の姿を図像化したもので、「山」の字も画かれている。

関川関所道の歴史館で展示中の妙高山如来の木版(左)と、その御影

御札の原版は、関川関所道の歴史館で開催している特別展「妙高山と善光寺」で展示されている。数多く刷られたため、版木はすり減っているのが分かる。

妙高(関山)の文化財を語る会の川上昭治会長は「1742年(寛保2年)に善光寺が御開帳して、非常に盛り上がった。それにあやかり、翌年に最鎮がこの影札を作らせた。当時の善光寺で配布された善光寺如来の御影にそっくりで、模倣したことが分かる」と話す。

山頂の阿弥陀堂から妙高堂に移設

阿弥陀三尊像は妙高山頂の阿弥陀堂内に安置されていたが、明治政府が神社から仏教的な要素を排除させた「神仏分離」政策に伴い、1869年(明治2年)に関山神社の南50mの場所に建てた妙高堂に移設した。

善光寺御開帳に併せた今回の御開帳では、関山神社の本尊「銅造菩薩立像」と並べ、阿弥陀三尊像を同時公開している。

宝蔵院庭園から望める「山」の字の雪形

関山神社北側にある宝蔵院は神仏分離により廃絶したが、庭園は現在も残り、6年間をかけて修復が完了した。

5月中旬から下旬にかけては、「山」の字の雪形が流れ落ちる滝の背後に望める。雪形が一番美しいビューポイントにもなっている。

宝蔵院庭園から見える「山」の雪形。山頂部の山肌に白い字で「山」と見える

江戸時代の出版物に出てくる「山」の雪形

「山」の字の雪形は、江戸時代に出版された木版出版物に出てくる。江戸時代後期の「二十四輩巡拝図会」、江戸時代末期の「信濃奇勝録」にも画かれている。

「二十四輩巡拝図会」に描かれた雪形。山の字がデフォルメされている

関山神社氏子総代の今井茂さんは「山の字が見えるのは関山付近だけ。関川の関所からも見えないし、長野や新井からも見えない」と言う。「山」の字の雪形は、妙高山信仰と深く結びついたものであった。

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