〈冬季五輪企画1〉驚き! これが大正時代の直立ジャンプだ!

現在のジャンプはV字スタイル

2026年2月7日から、イタリアで6日に開幕したミラノ・コルティナ冬季五輪のスキージャンプ競技が始まる。この競技では、日本勢が3大会連続でメダルを獲得している。中でも2014年のソチ大会(ロシア)で、新潟県妙高市出身の清水礼留飛選手が、団体で銀メダルを獲得したことが思い出される。この頃のジャンプの飛型は現在と同じV字スタイルだった。

現在のジャンプの「V字スタイル」

半世紀前はパラレルスタイル

記憶に残るのは約半世紀前の札幌五輪(1972年)。日本のジャンプ勢3人(笠谷幸生、金野昭次、青地清二)が金、銀、銅のメダルを独占し、日本中を熱狂させた。当時のジャンプはV字スタイルではなく、スキーを平行にそろえて前傾姿勢で飛ぶパラレルスタイル。中でも笠谷選手のジャンプは美しかった。

パラレルは、現代スキージャンプの前段階として完成度が最も高かった飛型とされる。左右のスキーを完全に平行(パラレル)にそろえて飛行、腕は体側に密着する。上体を深く前傾し、空気抵抗を少なくした。全盛期は1980年代前半まで続いた。

半世紀前の「パラレルスタイル」

V字スタイルは1980年代に登場

V字スタイルは1980年代に登場。スウェーデンのヤン・ボークレフが、意図的にスキーをV字に開いて飛んだのが始まり。当初は空中姿勢の乱れとして減点されたが、この飛び方で1988年〜89年のシーズンにはW杯で総合優勝した。飛距離が伸びることが実証され、1992年のアルベールビル五輪では減点の対象から外され、各国の主流技術となった。

上越市の金谷山にもジャンプ台があった

“スキー発祥の地”とされる上越市の金谷山にも立派なジャンプ台があったが、戦前に作られたものは鉄の供出でなくなった。2代目は1951年の第6回国体を前に巨費をかけて新設され、日本の一流選手が華麗なジャンプを披露した。1981年に作られたものが3代目だったが、老朽化のため2012年秋に解体された。

大正時代は体を直立、腕を上や横に

パラレルが出現する1960年代より前のジャンプスタイルは、どうだったのか。

日本初のジャンプ競技が行われた「第1回全日本スキー選手権大会」は1923年(大正12年)2月、総勢130人が参加して北海道小樽市で開催された。佐藤国雄著『雪国大全』によると、「競技種目には滑降らしいコースはなく、ほぼ平地を一周する距離競争と、日本初のジャンプ競技が中心だった。現地に着いた本州勢は、会場の緑が丘に積み上げてつくられた大型シャンツェ(ジャンプ台)を見てびっくり。尻込みした」と書く。

のちに全日本スキー連盟会長となった高田出身の小川勝次は「この日、緑が丘の斜面は人で埋まった。曲芸のようなわが国初めてのジャンプ競技を見ようとする人気は大変なものだった」と述べている。1位は小樽高商の讃岐梅二選手で、記録は16.1mだった。これが日本最初のジャンプ記録である。

大正期のジャンプスタイル。上体をほぼ直立させ、両腕を広げている

手を上に伸ばすバンザイ型

2枚の絵はがきは初代の金谷山ジャンプ台で行われたジャンプ競技のもの。大日本スキー会高田支部が発行したスキー絵はがきで、そのうちの1枚には「第二回全日本スキー選手権大会」と書かれたスタンプが押してある。翌1924年(大正13年)には高田の金谷山で開かれたのだった。

ジャンプのスタイルは、上体をほぼ直立させ、両腕を左右に広げてバランスをとったり、手を上に伸ばすバンザイ型もあった。上体を前傾させ、腕を前方に伸ばす選手もいた。「エイッ、ヤッ」と気合をかけたり、バランスをとるため空中で両腕をぐるぐる回すこともあったという。